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中国当局の現場スタッフの視線で描くウイグル族への「ジェノサイド」

カラカシュ県やその周辺で中国当局のスタッフは人権侵害にどのように関与してきたのか

柴田哲雄 中国現代史研究者

職業技能教育訓練センターで法律の授業を受ける入所者=2019年4月17日、新疆ウイグル自治区カシュガル地区

国際的に注目を集めた「カラカシュ・リスト」

 近年、中国の新疆ウイグル自治区では、「職業技能教育訓練センター」に100万人以上に上るウイグル族などのイスラム系少数民族が拘束され、「ジェノサイド」と見紛うほどの人権侵害を被ってきたという疑惑がもたれている。

 2019年に新疆ウイグル自治区当局から流出した「カラカシュ・リスト」は、こうした疑惑を裏付ける資料として国際的に注目を集め、21年12月に放映されたNHKスペシャルにおいても大きく取り上げられた。

 従来、ウイグル族などへの人権侵害の実態は、専ら奇跡的に国外に逃れ得た被害者の証言によって明らかにされてきた。これに対し本稿は、「カラカシュ・リスト」が作成されたカラカシュ県やその周辺の現場で、ウイグル族の住民と直に接する立場にあった中国当局のスタッフが、人権侵害にどのように関与してきたのか描くものである。

 なお、中国当局はプロパガンダ工作の一環として、現場のスタッフへの取材記事や、スタッフ自身の手記を、インターネット上にアップしてきたが、これらの文章の行間からも、スタッフの関与の実態が垣間見られる。こうした取材記事や手記は、ブリティッシュ・コロンビア大学によって収集されており、ウェブ上で公開されている(参照)。

女の子の涙にとまどう教師

 父親や母親がある日、突然拘束されて、いつ帰宅できるかわからなくなれば、残された家族、特に児童は情緒不安定に陥るだろう。2018年2月に雲南省昆明市からカラカシュ県へ「教育支援」のために赴いた20代半ばの漢族の女性教師の手記には、そのような児童の情緒不安定な様子が描かれている。長くなるが、以下に引用することにしよう。

 その日、午前中の3時限目の国語の授業が半分ほど進んだ時、突然、第2班の女の子が机に突っ伏して大声で泣き始めたのが聞こえてきた。涙が国語(筆者注:中国語)の本にけっこう浸み込んでいた。なんと麦迪乃姆(マイ ディ ナイ ムゥ)だった。この名前を憶えているのは、彼女は私に幼名が麦熱哈巴(マイ ルァ ハー バー )だと言ったが、(筆者注:地元特産のたいへん美味な)お菓子の表面に中国語で「麦熱哈巴月餅(げっぺい)」と書かれていたからだ。(中略)女の子はずっと泣きやまなかった。一体全体どうして泣くほど悲しんでいるのか。後ろの席の子によると、なんと彼女のお父さんが「収押(ショウ ヤー)(収監)」されたのだという。彼らは「収押」という言葉を決して口にしない。麦熱哈巴も両手に手錠をかけられたような身振りをして私に伝えた。それで彼女はとても悲しくて泣いたのである。私は「あなたのお父さんは家にいるの?」と尋ねた。彼女は「お父さんは家にいます」と言った。私は、だったら大丈夫でしょう、泣かないで授業を受けなさいと言った。「収押」は学校ではセンシティブな話題となっている。もし仕事上の必要がなければ、私は決してこの言葉を口にしたくはなかったし、子どもたちの弱っている心に触れたくはなかったし、子どもたちの心の傷を明るみに出したくはなかった。

 (中略)学校の外でパトカーのサイレンが鳴るたびに、子どもたちは授業中にもかかわらず、窓に身を乗り出して見入った。サイレンは本当に昼夜を問わず鳴っていた…。後にホータン地区中級人民法院で仕事をするようになってから、私にもだんだんわかってきた。サイレンを鳴らしたパトカーが村のなかをよぎると、きっと子どもたちのうちの誰かのお父さんやお母さん、肉親が連れていかれるのであった。…彼らが非常に恐れていたことである(「墨玉県大巴扎」

 児童らが「収押」という言葉を決して口にしなかったのは、学校ではそれが厳禁されていたからだろう。少なくとも被拘束者の一部は、「職業技能教育訓練センター」に「自ら望んで」入所したという建前になっているのである(「新疆的職業技能教育培訓工作」)。

 麦迪乃姆(麦熱哈巴)の父親を拘束の対象者に選定したのは、「訪民情、恵民生、聚(しゅう)民心(民衆を訪問し、民衆に恩恵を施し、民衆を団結させる)」(以下「訪、恵、聚」と略記)という政治キャンペーンのスタッフだった。「訪、恵、聚」のスタッフは、ウイグル族などの各家庭に「親戚」として寝泊まりしながら、家族を一人一人調査して、誰を拘束の対象者とすべきか決定していたのである(Adrian Zenz, "The Karakax list" )。

Tatiana53/shutterstock.com

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全寮制学校を訪れた「お兄さん」「お姉さん」

 麦迪乃姆(麦熱哈巴)は父親が拘束されただけのようだが、両親が拘束され、養育者がいなくなった児童は、全寮制の学校や幼稚園に引き取られた。そうした児童は、片親だけが拘束されて家庭に留まっていた児童に比べると、さらに情緒不安定に陥っていたにちがいない。また、一部の全寮制の学校や幼稚園は劣悪な環境の下にあった。劣悪な環境も児童の情緒不安定に拍車をかけたことだろう。

 「訪、恵、聚」のスタッフは、拘束の対象者を選定するだけでなく、残された児童に対する精神的なケアにも当たっている。「訪、恵、聚」のスタッフはしばしば全寮制の学校や幼稚園を訪れ、両親を拘束された児童と交流していたのである。

 例えば2018年3月5日、カラカシュ県の共産主義青年団委員会の指導の下で、新疆農業大学第4期大学院生教育支援団などのスタッフが、同県闊依其(クオ イー チー )郷にある愛心学校という全寮制の小学校を訪問した。愛心学校で暮らす7歳から12歳までの計450名余りの児童の大半は、両親が拘束されていた。

 スタッフの一人が「どれくらいお父さんやお母さんと会っていないか尋ねると、子どもたちのなかにはむせび泣いて話ができなくなる者もいた」。スタッフはめいめい「子どもたちのために、散髪や洗髪を行なったり、足を洗って新しい靴下をはかせたり、布団を畳んだりした」。児童らはスタッフのこうした世話もあってか、次第に心を許すようになり、スタッフの帰り際には、手を引っ張りながら、「『お兄さん、お姉さん今度はいつ来るの?』とひっきりなしに尋ねた」。

 ちなみに「カラカシュ・リスト」の218番の被拘束者(女性)の欄には、夫も拘束されてしまったために、10人中3人の子どもが愛心学校に送られたと記載されている。その3人の子どもも当日、スタッフと交流したものと思われる。

 もっとも、スタッフは児童と交流するためだけに訪問したのではなかった。わざわざ3月5日を選んだのは、その日が55回目の「雷鋒同志に学べ」運動の記念日だからである。雷鋒(1940‐62年)は中国人民解放軍の兵士であり、若くして事故死したが、毛沢東によって生前の人民への奉仕を称揚され、毛沢東思想を体現した人物とされていた。

 スタッフは児童に散髪などの世話をするかたわら、「雷鋒同志に学べ」運動についてもわかりやすく説明している(「研支団動態」)。要するに、児童への精神的なケアは、党のイデオロギー教育と一体化したものだったのである。

新疆ウイグル自治区ウルムチ市 Jarung H/shutterstock.com

抵抗を試みる被拘束者の家族も

 被拘束者の家庭では、児童だけでなく、成人も動揺を免れず、さらには憤りや反感を内心で募らせていたにちがいない。それは、被拘束者の成人家族のなかから消極的な抵抗を試みる者が出てきたことからも明らかだろう。

 例えば、「カラカシュ・リスト」の315番の被拘束者(男性)の家庭では、長男と次女も拘束されていた。そのせいだろうか、同リストによれば、残された成人家族の憤りや反感は、「訪、恵、聚」のスタッフの目にもあからさまとなり、「明らかに漢族を排斥する感情を抱くようになっていた」。そして、大胆にも「幹部が家のなかに入ろうとすると、故意に玄関口を塞ぎ、未成年の家族をそそのかして、その幹部を押し戻させようとした」。

 ウイグル族などの大量拘束のそもそもの目的は、2019年8月に中国政府によって公表された白書の「前言」で明言されているように、「テロリズムや宗教過激主義が繁殖し蔓延する土壌や条件」を除去することにあった(「新疆的職業技能教育培訓工作」)。しかし、被拘束者の成人家族が募らせる憤りや反感を放置すれば、かえってそうした「土壌や条件」を育む結果になりかねないだろう。

イスラム教の祝祭日をともに祝う

 そこで「訪、恵、聚」のスタッフは、被拘束者の成人家族の慰撫に努め、彼らの要望に一部応えようとさえしている。例えば、中級人民法院からカラカシュ県吐外特(トゥー ワイ トァ)郷に属する薩亜特(サ ヤー トァ)村に派遣されたスタッフは、残された家族の要望に応えるために、被拘束者が拘束に伴って中途退学を余儀なくされた自動車教習所と交渉して、残余の学費の返還を約束させた(「下沈日記」)。

 また、「訪、恵、聚」のスタッフは慰撫の一環として、イスラム教の祝祭日に合わせて、被拘束者の成人家族を招待している。

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