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話題の書『安倍晋三 回顧録』の籠池泰典氏に関する記述は、名誉棄損に当たる可能性がある

「100万円の授受」が虚偽であるという安倍氏の発言こそ虚偽ではないのか

郷原信郎 郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士

 中央公論新社から2月8日、『安倍晋三 回顧録』が公刊された。

 2022年7月8日に、参議院選挙の街頭演説中に銃撃されて死亡した安倍晋三氏が、生前、読売新聞論説委員の橋本五郎氏らの18回にわたるインタビューで語っていた内容を、安倍晋三氏自身を著者とする著書として公刊したものである。発売後、新聞でもその内容が取り上げられるなどして大きな話題になっており、Amazonでは書籍全体のベストセラー1位を続けている。

 編集責任者の橋本氏は、同書の序文で、「安倍さんの回顧録は歴史の法廷に提出する安倍晋三の陳述書でもあるのです」と述べている。史上最長の首相在任期間の間に、それまでの首相がなし得なかった、国家安全保障会議の設置、武器の禁輸見直し、集団的自衛権の容認、特定秘密保護法、共謀罪法の制定など国民の間に賛否が別れる多くの問題についての業績を考えれば、安倍氏の回顧録を出版することの意義は大きいと言えよう。

 しかし、このように、社会的影響力の大きい故人の発言を「当該故人の著書」として公刊する場合、その内容によって他者の名誉を棄損することがないよう、すなわち、「故人の発言による名誉棄損」となることがないよう、十分な配慮が必要であることは言うまでもない。当該故人は、著書公刊による法的責任を負えないのであり、名誉を棄損された者は、当該故人の責任を追及しようがない。とりわけ、著書の内容が、特定の人物の犯罪事実を不当に摘示するような内容だった場合、深刻な被害が生じることになる。

 『安倍晋三 回顧録』には、森友学園元理事長の籠池泰典氏に関して、名誉棄損に該当する疑いのある以下の記述がある(252頁)。

 理事長(籠池泰典氏)は独特な人ですよね。私はお金を渡していませんが、もらったと言い張っていました。その後、息子さんが、私や昭恵との100万円授受を否定しています。この話が虚偽だったことは明確でしょう。理事長は野党に唆されて、つい「もらった」と口走ったんでしょ。理事長夫妻はその後、国や大阪府などの補助金を騙し取ったとして詐欺などの罪に問われました。もう、私と理事長のどちらに問題があるのかは、明白でしょう。

 籠池氏は、安倍氏から直接100万円を受け取ったと言っているわけではない。昭恵夫人とのやり取りの話しかしていない。安倍氏の与り知らないところで、100万円の授受があったかどうかの問題であり、それについて、一方の籠池氏は、国会で証人喚問までされ、100万円を受領したことを明確に証言したのであるが、昭恵夫人の方は、自身のフェイスブックのアカウントでコメントが投稿され、その中で「籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料を頂いたこともありません。」と記載されているだけで、昭恵夫人自身は公の場での発言は全く行っていない。

 ところが、安倍氏は、この点について、「(籠池氏の)息子さんが、私や昭恵との100万円授受を否定しています。この話が虚偽だったことは明確でしょう。」と述べている。この「息子さん」というのは籠池氏の長男の佳茂氏のことだと思われる。同氏が100万円授受話を否定しているので、泰典氏の100万円授受話が虚偽だったと明言しているのである。

「安倍晋三回顧録」の記載内容について討論が行われた衆院予算委員会=2023年2月13日午後1時15分、国会内、上田幸一撮影 「安倍晋三回顧録」の記載内容について討論が行われた衆院予算委員会=2023年2月13日、国会内

籠池夫妻の長男は100万円授受について「真偽不明」

 森友学園問題が表面化した当初、両親の籠池氏夫妻を支える立場で共に行動していた佳茂氏は、夫妻が詐欺罪で逮捕され、勾留中の2018年秋頃から、花田紀凱氏、小川榮太郎氏などの、安倍氏に近い言論人に接近するようになった。

 そして、佳茂氏は、2019年9月24日に、以下のようなツイートを投稿し、その直後に、安倍氏批判に転じた泰典氏夫妻を批判する『籠池家を囲むこんな人たち』と題する同氏の著書が公刊された。

一番、森友学園騒動が盛り上がったのは、寄付金100万円の問題ですね。2017年3月15日、父がメディアに向けて昭恵夫人から寄付金100万円を受け取ったとの発言をしたのですが、この発言をしろと言ったのは菅野完です。捏造であり、報道テロです。

 ツイートでは「捏造」という言葉を用いているが、著書では、その点については、以下のように書いている。

 今となっては、それがあったかなかったかどちらでもいいような状態です。別に法的に問題があるわけではないし、むしろそれが寄付であるなら、それはそれできれいな話です。

 しかし、この100万円授受話の真相は、菅野完から言われたシナリオ通りの話を3月15日の小学院の中で私が父に耳打ちし、敢行されたものだったのです。そういう意味では父は、言われたことをしたまでであり、何らの落ち度もありません。

 要するに、泰典氏が100万円寄付の話を公言したのは、菅野完氏に指示にしたがったものだと言っているだけで、「100万円授受の事実」がなかったとか、創作だったと言っているわけではない。むしろ、「それが寄付であるなら、それはそれできれいな話です。」と書いていること、父の籠池氏について「何らの落ち度もありません。」などと、泰典氏が100万円授受の証言をしたことに問題はないことを述べているのであり、授受の事実自体はあったことを前提にする記載のようにも思える。

自宅を出て報道陣の問いかけに答える籠池泰典・前理事長= 2017年7月27日、大阪府豊中市、加藤諒撮影 自宅を出て報道陣の問いかけに答える籠池泰典・森友学園元理事長=2017年7月27日、大阪府豊中市

 佳茂氏は、この著書の公刊後、菅野完氏から、上記投稿と著書について名誉棄損による損害賠償請求訴訟を起こされ、敗訴が確定している。

 その訴訟で、被告佳茂氏は、「被告の認否」で、「100万円授受」については「真偽不明である」としている。つまり、佳茂氏は、ツイートで「捏造」というインパクトのある言葉を使用しただけで、「100万円授受話」の真偽はわからないということなのである。

 また、「籠池泰典氏が、100万円の寄付の話を公言したのは、菅野完氏に指示にしたがったもの」という点についても、菅野氏が上記訴訟で、そのような事実はないと主張したのに対して、佳茂氏側は、泰典氏の発言内容についての証拠を提出したようだが、判決は、このような佳茂氏側の主張は認められないとした上、同証拠についても「原告が訴外泰典のメディア対応を仕切って、対応する相手を管理していたこと、訴外泰典の自宅に原告に近しいマスコミ関係者が寝泊まりするようになって、訴外泰典の言動を記事にしていった記載があるに過ぎず、上記指示を受けた旨の記載はない」と判示している。

 ところが、安倍氏は、「息子さんが100万円授受を否定し、籠池氏の話が虚偽だったことは明確になった」と認識していたようだ。もし、その認識のとおりであれば、昭恵夫人から安倍晋三氏からの寄付だとして100万円を受領したとの泰典氏の衆参両院の予算委員会の証人喚問での証言は、すべて偽証だったことになる。

参院予算委での証人喚問で、民進党の福山哲郎氏(右下)の質問に答える森友学園の籠池泰典氏=23日午前11時17分、国会内、長島一浩撮影 参院予算委での証人喚問で、質問に答える森友学園の籠池泰典氏=2017年3月23日

死者の言葉の公表による名誉毀損や不法行為はあり得る

 刑法230条2項において、「死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない」と規定されており、「死者に対する名誉棄損罪」が成立することについては法律上明文がある。また、死者の名誉を鍛損することにより、遺族等の名誉が棄損されたときに、遺族等生存者自身に対する不法行為が成立することにも争いがない。

 逆に、「死者による名誉棄損」というのは、死者自身は行為をなし得ないので刑法上の名誉棄損が成立する余地がないのは当然だ。しかし、今回の回顧録のように、「死者の発言」を公にすることによって、他者の名誉を棄損するということはあり得る。その場合は、それを公にする行為が、名誉棄損罪、民事上の不法行為に該当する可能性が生じる。

 『安倍晋三 回顧録』は、故人である安倍氏の「(佳茂氏が)私や昭恵との100万円授受を否定している。この話が虚偽だったことは明確」と安倍氏が発言したこと自体については、おそらく間違いはないのであろう。

 しかし、そのような故人の発言を回顧録の中で公にすることは泰典氏の「100万円授受話」が虚偽であるとの事実を摘示することは、それ自体が、籠池泰典氏の社会的評価を低下させるものであり、名誉棄損に当たる可能性がある。しかも、回顧録で根拠にしているのは「(佳茂氏が)私や昭恵との100万円授受を否定している」ということであり、実際には、その佳茂氏の発言が存在しないということになると、真実性の根拠もないのに、泰典氏が虚偽証言をしたとの事実を摘示して名誉を棄損したことになる。それは、刑事の名誉棄損罪、民事上の不法行為に該当する可能性がある。

 安倍晋三氏の「(佳茂氏が)私や昭恵との100万円授受を否定している。この話が虚偽だったことは明確」との発言を、『安倍晋三回顧録』の中で記載するのであれば、「佳茂氏は100万円授受を否定していないことは、訴訟でも明らかになっているので、この安倍晋三氏の発言は誤解によるものです」との注記を付すことが最低限必要だ。

 ところが、同回顧録には、そのような注記は全く記載されていない。それどころか、その直後に「理事長夫妻はその後、国や大阪府などの補助金を騙し取ったとして詐欺などの罪に問われました。もう、私と理事長のどちらに問題があるのかは、明白でしょう。」と、籠池氏が犯罪者であることを強調する安倍氏の発言が書かれており、この発言とも相まって、籠池氏が国会での証人喚問で証言したことを記憶している者にとって、「偽証の犯罪者」であることが強く印象づけられる記述になっている。

 私自身、同回顧録の籠池氏に関する安倍氏の発言部分を読んで、当初、「籠池泰典氏は、詐欺罪で実刑が確定しただけでなく、その息子の発言により国会での偽証まで明らかになっているのか」と思ったが、念のために、その「息子の発言」の内容を確認してみたところ、佳茂氏は100万円授受を否定しておらず、安倍氏の発言が虚偽であることが確認できたものだ。

 一般の読者は、そのような事実確認はしないので、「籠池氏が100万円授受について虚偽の発言をした」と思い込んでいる人が大半だと思われる。これは、籠池氏が、いくら、詐欺罪で有罪判決を受けた身であっても、到底許せることではないであろう。

 もっとも、「籠池氏が100万円授受について虚偽の発言をした」という事実について、安倍晋三氏自身が認識していた、泰典氏の息子の佳茂氏の発言が「100万円授受」を否定する根拠になる、というのは誤解だったとしても、同回顧録の編集責任者の橋本五郎氏らや、出版元の中央公論新社の側が、佳茂氏の発言以外に、「籠池氏の100万円授受について虚偽発言」を疑う十分な根拠を有している、というのであれば話は別である。

監修者に警察官僚出身の北村滋氏の名

 この点に関して重要になってくるのが、第2次安倍内閣で内閣情報官を務めた警察官僚出身の北村滋氏が、回顧録の監修者になっていることだ。内閣情報官は、内閣情報調査室の長で、政府の情報収集活動を統括する。2017年3月に籠池氏の国会証人喚問が行われた際も、当時政府として可能な限り籠池氏に関する情報を収集したはずであり、その情報が内閣情報官を務めていた北村氏の下に集められていたはずだ。

北村滋氏北村滋氏
 編集責任者の橋本氏や出版者の中央公論新社側は、「内閣情報官だった北村氏が監修してくれているから、籠池氏に関する部分も名誉棄損に当たることはないだろうと思っていた」と弁解するかもしれない。しかし、もし、籠池氏の証言が偽証であることを立証する証拠が安倍官邸側にあったのであれば、籠池氏の偽証告発がおこなわれていたはずだ。しかも、仮に、何らかの証拠があるとしても、籠池氏側から名誉棄損による損害賠償訴訟を受けた場合、北村氏は、内閣情報官時代に収集した証拠を訴訟に提出することができるのだろうか。

 『安倍晋三 回顧録』の籠池泰典氏に関する記述は、北村氏が監修者として加わっていることによって、安倍晋三という政治家だけではなく、安倍内閣での情報収集活動そのものをも「歴史の法廷」に立たせることになる可能性がある。

 なお、本稿で引用した菅野完氏が籠池佳茂氏及び出版社青林堂に対して提起した名誉棄損損害賠償訴訟の判決文は、菅野氏から入手し、同氏の了解の下に引用している。同氏は、「安倍晋三回顧録の籠池氏に関する記述に問題があることには私も気づいていましたが、私自身は、佳茂氏との訴訟との当事者ですので、その問題について指摘することは差し控えていました」と述べている。