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世襲の国会議員が多すぎる! 日本政治の異常とリスク~なぜこんなに増えたのか?

世襲議員ばかりが担う政治から多彩な非世襲議員が活躍できる政治にどう転換するか

落合貴之 立憲民主党衆院議員

国会議事堂=2022年6月24日、東京都千代田区

 去る2月1日、衆議院予算委員会で私は世襲議員の問題を取り上げ、「我が国は世襲議員の割合が多すぎるのではないか」「世襲でない若者もやる気と能力があれば活躍できる政界を創る必要があるのではないか」と、岸田文雄総理に問いかけました。言うまでもありませんが、岸田総理自身が世襲議員です。

 国会の晴れ舞台とも言える予算委員会でどうして世襲議員について取り上げたのか。結論を先に言えば、政界が世襲議員ばかりになったら、しばらく続くであろう日本、そして世界の歴史的な転換期に立ち向かえるような優秀な人材が、政治の世界に入らなくなく恐れがあるからです。

 日本がいま抱える課題への対応や政治のあり方について、私はこれまで「論座」で幾つかの論考や対談を公開してきました。たとえば、「『政治改革』の残された課題 企業団体献金全面禁止がいま必要な理由」では政治の宿痾ともいえる「政治とカネ」の問題について考えました。また、「18歳から立候補できる選挙で政治を変える~多様な世の中をつくる第一歩」では、多様な世代の人材が政治に挑戦する、多くの国民に政治に関心を持ってもらうために、被選挙権年齢の引き下げようと提案しました。

 「論座」の終了にあたり、国会議員に世襲が多すぎるという、実は深刻な問題について論じたいと思います。

長男を政務秘書官の起用した岸田総理

 私が国会議員の世襲について、国会の場で取り上げることを決めた直接の理由は、岸田総理が政務の首相秘書官に、長男の翔太郎氏を起用したのことでした。

 政務の「首相秘書官」とは、普通の「秘書」とは違います。いわば官邸のキーパーソンとして、政務の総合調整をして、政治家や官庁とも渡り合わなければならない、内閣の要ともなる重要な役割を担っています。

 そんな秘書官に長男を起用したことについて尋ねた私に対し、岸田総理は「今のこの総理大臣としての活動を支えるためにどういった人選がいいのか、どうした、どういったチームを組むのがいいのか、こういったことで検討して人選を行っています。」と述べるだけ。なんともよく分からない答弁でした。

 官邸情報のリークや総理の外遊先での“お土産購入”などをめぐり、なにかと話題が絶えない翔太郎秘書官ですが、それはともかく、自分の息子を国の重要な役職である総理秘書官に就けた人選を手放しに評価する国民はそうはいないはずです。

岸田文雄首相(右)の後ろに続いて首相官邸に入る長男の翔太郎氏(左)=2023年3月9日、首相官邸

4代目への禅譲の布石?

 岸田総理がなぜこのような人事をしたのか。国会での総理の答弁からはさっぱり分からなかったのですが、様々な臆測が飛び交っています。得心するものに、将来、自分の後継として選挙区を継がせる時に備え、箔を付けるためという見方があります。

 岸田総理は世襲の三世議員です。初代の正記氏(総理の祖父)は戦前、立憲政友会から立候補し6期連続当選。戦後も衆議院議員を1期つとめています。2代目の文武氏(総理の父)は商工省(後の通産省、経産省)に入り、中小企業庁長官をつとめた後、自民党から衆議院に出て5期連続当選。在職中の92年に亡くなっています。

 岸田総理は大学卒業後、長期信用銀行に入りましたが、87年に文武氏の秘書となり、父の死去後、93年の衆議院選で父の地盤を継承して当選。以来、10回連続当選しています。今回の昌太郎氏の秘書官への起用が、自らを前例とした、4代目への禅譲の布石にも見えないこともありません。

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自民党衆院議員の3割以上、閣僚の半分が世襲

 かねてから日本の国会議員は海外と比べて世襲が多いと言われてきました。実際、現在の自民党衆議院議員の3割以上、閣僚の半分以上が世襲です。林芳正外務大臣、鈴木俊一財務大臣、河野太郎特命担当大臣といった主要閣僚も世襲。いずれも父親がどういう方かも顔が思い浮かびます(林芳正氏の父は蔵相などをつとめた林義郎氏。鈴木俊一氏の父は鈴木善幸元首相。河野洋平の父は自民党総裁だった河野洋平氏)。

 歴代総理大臣の顔ぶれを見ても、最近は世襲がほとんどです。昭和時代は「たたき上げ」の総理が目立ちますが(1970年代から80年代に首相になった「三角大福中」、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘の各氏はいずれもたたき上げの国会議員でした)、平成に入った90年代以降、その多くが世襲政治家で、菅義偉氏のように世襲議員でないということがニュースになってしまうほどです。

 世界に目を転じると、例えばイギリスでは、貴族院でさえ世襲議員は1割ちょっとしかいません。なにも私は世襲政治家をすべて否定するつもりはありません。優秀な方も少なくないと思います。しかし、割合が多すぎるのは問題です。

 なぜ、ここまで世襲議員の割合が多くなってしまったでしょうか。

閣議に臨む岸田文雄首相(中央)、林芳正外相(左)、鈴木俊一財務相(右)=2022年4月1日、首相官邸

世襲候補の勝率は8割、非世襲議員は3割

 2021年のある大手新聞の記事によると、1996年の衆院選で小選挙区制度が導入(それまでは中選挙区制度でした)されてからその時点まで、世襲候補の勝率は比例復活も含めて約8割にのぼります。これに対し、非世襲議員の勝率は3割止まり。世襲が圧倒的に有利です。

 選挙区から一人が当選する「小選挙区」では、複数が当選していた「中選挙区」と比べて、世襲がさらに優位に立っています。どうしてこうなるのでしょうか。

 政治家を世襲することということは、当選に必要な「ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン」を継承することに他なりません。ちなみに、「ジバン」とは後援会や支援団体。「カンバン」とは知名度。「カバン」とはお金のことです。

 世襲議員は先代の後援会、支援団体を引き継ぎます。少なくとも苗字は知られていて知名度もあります。活動資金をプールしている政治団体を引き継げば、経済的にも楽です。これらを地力で作らないといけない非世襲議員と比べて明らかに有利。選挙区で一人しか当選しないとなると、なおさらそうでしょう。

多様な人材が活躍できる政界が望ましいが……

 先ほど、世襲政治家が多すぎるのが問題だと書きました。その理由は、生まれ育った環境が似た政治家ばかりになると、政策や発想が単色になる危うさがあるからです。また、有為なリーダーを輩出するためには、機会の均等が重要です。

 私は、日本が個性のある多様な人材が活躍できる、誰にでもチャンスがある国になってほしいと思っています。そして政治の世界は、率先してそういう場になるべきです。なのに、現実にはそれと逆になってしまっています。

 かつて台湾総統をつとめた李登輝氏は著書で、「日本が自分を見失ってしまった最大の原因は、アメリカや台湾と異なり、あまりにも世襲制がひどくなったことにある。無名の若者が国会議員になろうと思っても、ほとんど不可能であり、戦後日本の上昇は、無名の新人によって達成されたが、現在は国会議員のかなりの部分が、二世と三世で占められている」という趣旨のことを述べています。

 また、福沢諭吉は欧米に渡り、民主主義とは何かを考えた際、ワシントンの子孫が大統領なわけではないし、国民は今、その子孫が何をしているかさえ知らないことを知って驚いたといいます。家柄で役職が決まる門閥制度ではなく、それこそが民主主義のキモだと言うのです。これがあの有名な「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という思想につながっていきます。

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人材の活用が必要な時期だからこそ

 作家の塩野七生さんは、『ローマ人の物語』の中で次のように書いています。

――人材は、興隆期にだけ現れるのではない。衰退期にも現れる。しかもその人材の質は、興隆期には優れ衰退期には劣るわけではないのだ。興隆期と衰退期の人材面での唯一のちがいは、興隆期には活用されたのに衰退期に入ると活用されない、ということだけである。

 残念ながら、日本はいま、高度成長期のような興隆期ではなく、衰退期にあるように見えます。とはいえ、このまま衰退の道を辿っていいはずはありません。必要なのは、人材を興隆期以上に活用するということです。

 日本の舵取りをする政治家のレベルをもっと上げるためにも、世襲の人が国会議員になれる可能性が段違いに高い現状は改めるべきだと思います。国会議員になる機会は均等にしなければなりません。為政者たちが、自分の子どもたちを優先してその地位に就けるというのは、この国のことを思っての行動とは到底思えません。

 政治が劣化をすれば、国はあやうくなります。コロナパンデミック、ウクライナ戦争などを経て、日本や世界は今、大きな転換期にあります。政治を担う有為の人材をどうつくっていくかがますます重要です。そのためにはどこから手を着けたらいいのでしょうか。

 立候補の自由は憲法でも保障された重要な権利です。しかし、国会議員になる機会の均等を図るためにも、相続税や贈与税がかからない、政治資金をプールした政治団体の世襲は認めないことを法律で定めるとか、各党の内規などで同一選挙区の世襲を認めないといった何らかの制限を定めるべきでしょう。多様な人材の確保のため、政治塾や対話集会をひらくなど、各政党のより一層の努力も欠かせません。

 世襲議員ばかりが担う政治から、多彩な非世襲議員が活躍できる政治に変えられるかどうか。日本の命運はそこにかかっているといっても過言ではありません。