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トルコ大地震と大統領選の行方 西側がエルドアン氏に注視せざるを得ない理由

ロシアとウクライナをつなげるトルコの独自性

花田吉隆 元防衛大学校教授

 2月6日に起きたトルコ南部及びシリア北部の地震は、両国併せ死者5万人を超える未曽有の震災となった。トルコだけでも死者4万8000人以上、被災者約100万人(テント生活者約140万人)とその惨状は目を覆う。東日本大地震から12年が過ぎ、今なおその爪痕が生々しく残る日本としては可能な限り支援を継続していく必要がある。

 トルコは日本同様、活断層上に位置しこれまでも多くの地震に見舞われてきた。最近では1999年のイスタンブール近郊イズミットで起きた地震が記憶に新しい。この時、死者は約1万7000人を数えたが、今回、犠牲者はその比でない。

建物のがれきの間を歩く住民男性。男性のアパートも地震で倒壊したという=2023年2月18日、トルコ南部エルビスタン

 被害がこれほどまでに拡大した原因の一つにエルドアン政権の失政があり、その意味でこれは人災だとの見方が強い。1999年の震災以降、トルコ政府は地震対策として耐震基準の強化を推し進めてきたが、その運用は不透明なところが多かった。

 当局に対する袖の下により基準に満たないものも多く許可され、とりわけ2018年の建築業者に対する恩赦は違法建築をはびこらせる大きな要因になったとされる。エルドアン氏が2003年に首相に就任して以来、震災対策を怠ってきたとすれば、その責任は大きいといわざるをえない。

 国民の怒りは、5月14日に予定される大統領選、議会選に向かう。エルドアン氏は自身の再選と与党の勝利を目論むが、情勢はがぜん不透明になってきた。トルコの混乱は国際情勢に大きな影響を与えかねない。国際社会は選挙の行方に重大な関心を持って見守っている。

エルドアン政権下、建物の耐震基準は骨抜きにされた

 エルドアン大統領は過去20年、首相または大統領として国の舵取りを担ってきた。2001年に同氏が新たに公正発展党(AKP)を組織し総選挙に打って出た時、トルコは未だイズミット地震後の混乱を払拭できずにいた。

 エルドアン氏は、1983年の民主化以降、経済の立て直しに有効な手を打てず、また、この震災への対策もままならない当時の政権を批判することで地滑り的勝利をものにした。しかし今回、その同じ批判がエルドアン氏に向かおうとしている。

記者会見に臨むエルドアン大統領=2022年11月16日、インドネシア・バリ島

 エルドアン氏の20年は、2013年あたりを境に明暗が分かれる。2002年の選挙で勝利し、翌年首相に就任したエルドアン氏は、混迷した経済を成長軌道に乗せ、多くの社会インフラを整備していった。1人当たり所得は2013年までの10年で3492ドルから1万807ドルへと3倍に増えた。しかし2013年のショッピングモール建設反対に端を発する大規模デモと2016年のクーデター未遂事件を機に、エルドアン氏は強権色を強めていく。

 国内反対派を弾圧し、司法やメディアにも介入していった。中央銀行の独立も有名無実化し、圧力により金利引き下げによるインフレ抑制を実施させたが、逆に物価は高騰の一途を辿るだけだった。インフレ率は昨秋段階で85%に達し、今も60%を上回る状態が続く(2022年12月に64.27%)。経済の混迷に対する国民の不満は大きい。

 エルドアン氏は、クーデター未遂事件後、多くの軍、政府関係者を追放、信頼できる者だけで政府機関を固めてきたが、その結果、国家機構が空洞化してしまったと批判される。今回の地震で、厳しい耐震基準が設けられたにもかかわらず実際はそれが骨抜きにされていたことが明るみに出たが、これは氷山の一角だ。

 エルドアン氏の強権体質により、国家機関のチェックアンドバランスが失われ政府は機能不全状態といっていい。そのことが図らずも今回の地震により露呈することとなったといえよう。

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