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劣化が進む首相官邸!?~「政治主導」は後退していないか

論座終了にあたり日本政治の望ましき展開を妨げている事由を論ず【3】

田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授

 「論座」が終わるにあたり、日本政治の望ましい展開を妨げている事由を指摘し、自らの見解を3回にわたって明らかにしている。初回「衆議院小選挙区制の徹底検証を!~日本の劣化を深めた制度要因」、第2回「構想力を欠いた“省庁再編”~行政改革はなぜ本筋を逸れたのか」に続き、最終回の今回は官邸を中心とした「政治主導」を取り上げる。

肥大化した首相官邸

 “省庁再編”後に最も大きくその実態が変貌したのは首相官邸ではないか。政治主導の掛け声のもと、官邸内の政治家は増え、「官邸官僚」と呼ばれる官僚が力を持つようになった。平成の半ばに首相官邸が「旧官邸」から「新官邸」へと衣替えしたことも、官邸の肥大化をいっそう進めた感がある。

 振り返ると、1990年代初めまで、日本の首相官邸に常駐する政治家(国会議員)は、首相、内閣官房長官、官房副長官の3人しかいなかった。GDP(国内総生産)が世界第二位、ODA(政府開発援助)は世界第一位の“先進大国”だった頃だ。

 現在はそこに首相補佐官として5人、さらに政務の副長官も1人増員され、計9人の政治家が常駐するようになった。仕事が効率的に進むこともあるだろうが、逆に「船頭多くして船山に登る」という事態も避けられないだろう。

 首相に直結した役職の人は互いに協調し、結束して首相を支えることが理想である。とはいえ、現実には深刻な競争関係となり、大事な仕事を逆に遅滞させたり失敗させたりすることも多くなろう。かつての身軽な官邸のほうが、首相の執務が円滑に進展するのではないか。

 近年、首相官邸に詰める政治家が増えたことは、円滑な首相の執務のためというより、その政治家が「首相に近い」ことを世間に印象づけるためのように見える。だからか、ともすると官邸詰めの政治家は独断専行に走り、思わぬ事態を招くことがある。

 こうした政治家には、相当数の事務職(いわゆる官邸官僚)が補佐につく。具体的には知らないが、90年代初めまでとは比べものにならない数だろう。

首相官邸=2022年9月17日、東京都千代田区、朝日新聞社ヘリから

オーストラリアで見た政治主導

 官邸詰めの政治家の増加に象徴される官邸機能の強化は、それまでの官僚主導の政治を“政治主導”の政治へと変えるための改革のはずであった。だが、残念ながら、政治主導をめざした日本政治の転換は、今のところ成功したとは言えない段階にある。

 新党さきがけの衆院議員だった1995年、私はオーストラリア政府から招かれ、かの地を訪問した。戦後長く続いた「55年体制」が終わり、自民、社会、さきがけの3党連立による村山富市政権のもと、“政治主導”への関心が高まっていた時期だった。

 周知の通り、オーストラリア、ニュージーランドなどの英連邦諸国は、イギリス国王を元首に戴いているから、日本と同じ議院内閣制をとっている。従って、「政と官」、「官と民」の関係についても、同様の問題や事情を抱えている。

 オーストラリアは、まさに“政治主導”への大改革を終えたばかり。私は訪豪の課題を“あるべき政治主導”に絞り、改革を担当した当事者との会談を求めた。オーストラリア政府も快く私の要望を聞き入れ、連日、必要な人たちを紹介してくれた。多くを学んだが、特に強く印象に残ったことが幾つかあった。

 ひとつは、各省の事務次官を首相が決めるということだ。トップ人事を各省に委ねると、どうしても“省益”に奉仕する次官が選ばれるというのが理由だった。

 当時、ニュージーランド大使に聞いた話では、首相が事務次官を選任する際には、複数の候補に「あなたが事務次官になったら局長人事はどうしたいか」を問うという。首相が各省の幹部官僚をすべて知っているわけではないので、他の候補が提案する局長人事と比べたうえで、誰が事務次官にふさわしいかを決める。こうして省益を越える国益優先の統治体制を築くのである。

まな板の上のコイが包丁を握っている

 最も驚いたのは、行政の改革には徹底して官僚の介入を拒否するということだった。

 私が会った人たちは、日本の事情をよく知っていた。そして、行政改革や官僚改革まで官僚に任せている点を痛烈に皮肉られた。彼らは、改革に関する件では官僚に会わないし、電話にも出ないということを強調した。私は、「我が意を得たり」という心境だった。

 その頃、日本では大蔵省の不祥事が続き、官僚腐敗が問題視されていた。大蔵省は省内に改革のプロジェクトチームをつくると言う。おかしいと思った私は国会の委員会で「まな板の上のコイが包丁を握っている」と発言した。

 もうひとつの驚きは、オーストラリアでは総選挙に勝って新しい首相が官邸に乗り込むとき、相当数の民間人を連れて行くということだった。学者、弁護士、企業人、各分野の専門家、総選挙でマニフェストづくりにかかわった人たち……。いわば、首相にとって民間の同志たちが特別公務員として首相周辺を支える。

 とにかく数を増やせばいいとばかりに、無原則に官邸に入る政治家や官僚を増やす日本とは、そこが大きく違っていた。

首相秘書官が抱える問題

 日本の首相官邸では、首相秘書官の実質的な権限が極めて強い。特に首相との面会の許諾を担当する筆頭秘書官は、首相と一体の関係にある。その秘書官が、出身官庁の省益を体現するような人であれば、特定の官庁に有利な方向に官邸の決定を誘導することができる。首相経験者の中に「彼らはスパイだ」という人がいるのはそのためだ。

 1993年に非自民連立の細川護熙内閣が発足したとき、首相と各省(大蔵、外務、通産、警察)が推薦した秘書官が初めて対面することになった。いずれも、省内で出世コースを歩くエリートだ。それまでの自民党政権ではそのまま首相と会ったのだが、細川首相の指示を受けた私は、まず4人の秘書官にホテルのカフェに集まってもらい、私から彼らを首相に紹介するかたちにした。そうすれば、首相と秘書官の間に私が入り、秘書官が首相を取り込む事態も少なくなると考えたからだ。

 ちなみに、政務秘書官は他の秘書官と違い、首相自身が信頼できる人を選ぶのが通例だ。岸田文雄首相は今、子息を任命しているが、これは弊害が大きい。官邸官僚は首相の身内である政務秘書官を前にしてどうしても萎縮するし、官房長官などの政治家も遠慮がちになることは避けられない。いかなる理由があろうとも、見識のある人事とは言えない。

官僚主導を招いた内閣人事局

内閣人事局発足式が行われ看板かけをする、(左から)加藤勝信内閣人事局長、稲田朋美内閣人事局担当大臣、安倍晋三首相、菅義偉官房長官=2014年5月30日、東京・永田町

 もう一つ、現在の内閣の人事制度が抱える最も重大な問題は「内閣人事局」である。

 内閣人事局は「政治主導の行政運営」を目指し、各省の幹部人事を首相官邸が一元的に掌握する狙いで2014年に設置された。各省の幹部人事を事務次官に任せると、行政のすべてが官僚主導になりかねないからだ。内閣人事局長は、内閣官房副長官が務めることになっている。

 この人事制度は、各省の事務次官が実質的に人事権を行使する旧来の制度と異なり、一見すると、内閣主導、政治主導の制度であると受け止められるかもしれないが、実はそうではない。端的に言って、従来の官僚主導よりも公正さを欠いた独善的な官僚主導に陥っているように見える。

 実際、ほとんどの政治家は約600人にのぼる幹部官僚のほんのわずかしか知らない。首相や官房長官でも、かつて自分につかえた秘書官や、一緒に仕事をした局長や課長などしか記憶にないのではないか。だから、官僚人事の大半は、首相や官房長官に近いごく少数の官僚によって行われることになる。

 とすればどうなるか。内閣人事局長である内閣官房副長官、あるいは首相に近い官僚に、官僚たちが列をなしておもねることになる。安倍晋三政権のもと、内閣で人事局が設置されて以来の官邸の動きを見ていると、残念ながらそう感じざるを得ない。

大転換機の政治に求められるもの

 グローバル化、AIの進展、中国の台頭、地球温暖化をはじめとする地球規模の変動……。世界は目下、大きな転換期にある。それは、私が政治家として経験した冷戦の終焉時よりもさらに大きな転換だろう。

 こうした変化に対応するため、日本の政治も変わらなければならない。官僚主導ではなく、国民の支持に支えられた第一級の政治家による政治主導の実現は不可欠である。

 真の政治主導のためには、オーストラリアのように、官邸内に民間の見識を数多く結集し、官僚を指導する体制をつくらなければならないだろう。その際、首相や官房長官には格別高い見識や力量が求められるのは論を待たない。なかでも私が最も強く求めたいのは、歴史観に裏打ちされた政治思想と、先を見通す構想力である。

 そんな「時務を果たす」人材が、世襲の岩盤を打ち砕いて輩出する日も遠くないと信じたい。(連載終わり)

国会議事堂=2021年9月10日、東京都千代田区、朝日新聞社ヘリから