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[9]関心を呼ぶ福島第一原発の建設紹介映画

米山正寛 ナチュラリスト

 東日本大震災で被災した東京電力の福島第一原子力発電所(福島県大熊町、双葉町)。電源喪失に見舞われて、原子炉や核燃料貯蔵プールの冷却が進まず、12日の1号機における水素爆発に始まり、2~4号機でも爆発などの事故が起こった。原子炉中の核燃料が溶け出す炉心溶融も起こっているとみられるこの原発の建設過程を記録した映画が今、インターネットで関心を集めている。

 この映画は「福島の原子力」(27分、1977年製作、85年改訂)。東電が企画して、日映科学映画製作所がつくった。古い科学映画の有効活用を目指して、著作権者の許諾を得たうえで無料配信をしている科学映像館のウェブサイトで見られる。トップページから、「配信映画」→製作会社「日映科学映画製作所」とクリックしていけば、作品名の中に「福島の原子力」が見つかる。大震災の前からウェブに公開されていたが、爆発事故後にツイッターなどで話題となり、1カ月にせいぜい数回だったアクセスが、12~17日には急増して、すでに2800回以上再生、視聴されたそうだ。

爆発を起こす前の福島第一原発。1号機(左)から4号機=本社ヘリから

 福島第一原発は沸騰水型原子炉を持つ1~6号機があり、電気出力は計470万キロワット。79年の全6機完成当時などは「日本最大の原発」と呼ばれていた(現在は東電柏崎刈羽原発が全7機、821万キロワットで最大)。この映画は、67年に着工され、71年から営業運転を始めた1号機の建設時の様子を中心に、福島第一原発の安全性や地域振興に対する貢献などを紹介している。映画館などで宣伝用に上映された作品らしい。

 原発の原子炉は、内側から鋼鉄製の圧力容器、鋼鉄製でコンクリート壁に覆われた格納容器、鉄筋コンクリート製の原子炉建屋と、三つの壁に守られている。映画を見ると、1号機の圧力容器は厚さ16センチの鋼鉄製であり、高さ32メートルの格納容器については厚さ3センチの鋼鉄製で厚さ2メートルの遮蔽コンクリート壁で覆われていることがわかる。子どもたちが手を広げても余りあるほどの壁の厚さには、確かに驚かされる。「一般のビルディングの3倍以上の強い構造なので、激しい地震にも十分耐えられる」と紹介された原子炉建屋が次々と水素爆発で吹き飛んでいる現実に直面し、圧力容器と格納容器が安全のための最後のとりでとして機能しつづけてくれることを祈るばかりだ。

福島第一原発1号機の原子炉圧力容器=「福島の原子力」から

 映画の終盤では、福島第一原発を「わが国に多い臨海原子力発電所のパイオニアであり、原子力発電の技術革新のモデル」とたたえている。海外では川などに沿った内陸部に原発を建設する場合も多いのだが、日本では冷却水として海水が使いやすいため、基本的に海辺へ原発を建ててきた。その選択が今回、巨大津波の来襲を許し、地震の揺れには耐えられたものの、炉心冷却系をはじめとする重要設備の電源喪失という大きな問題を引き起こしてしまったわけだ。

 科学映像館を運営するNPO法人「科学映像館を支える会」の久米川正好理事長は「テレビでは原発の内部構造などが見られないため、どういうものであるのか、情報を求める人がアクセスしているようだ。映像アーカイブの重要性を再認識させられる状況だ」と関心を集めている理由を分析。この作品については「原発が慎重に建設されていった様子がわかる。ただ今回は想定外のことが起こってしまったわけで、人の力の限界を感じる」と話す。

建設途中の福島第一原発1号機の格納容器=「福島の原子力」から

 科学映像館のサイトには、もう一つ「黎明――福島原子力発電所建設記録 調査編」(26分、67年製作)という映画もあり、建設に先立つ2年間に現地の地質や海底地形などが調査されていった模様が見られる。やはり東電が企画した日映科学映画製作所の作品だ。こちらは「福島」「原子力」という言葉が主題に入っていないためか、アクセス回数は「福島の原子力」ほどではないという。

 しかし、大津波を経験した今となると、こちらの映画で原発現地のことを「過去数百年にわたって地震や台風、津波などによる大きな被害を受けたことがない」「工事着工をひかえて安全審査委員が訪れ、原子力発電所の安全性を綿密に審査した」と紹介していることが、気にかかる。海に面した現地はかつて、高さ30メートルの台地だった。津波のことを考えれば、せめてその地形をもっとうまく生かして利用できなかったものかと考えてしまう。実際には、台地を大きく削って低くした場所へ原発が建てられていった。

 今回の巨大津波を、869年に仙台平野などへ大被害をもたらした貞観津波の再来とする見方もある。原発建設にあたっての安全性評価では、1000年以上前の津波には十分な目が向けられなかったのだろうか。それを悔やんでも、もう遅い。この結果を今後、自然の驚異の評価にどのように生かすのか。私たちに突きつけられた大きな課題だ。