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【書評】「科学者」を再デザインする〈無料〉

尾関章

尾関章 科学ジャーナリスト

 科学技術への逆風がしばらく強まりそうな気配だ。そもそも原発をこの世に産み落としたこと、原子力が日本の科学技術政策の柱の一つになったこと、そして、今春の原子力災害後、専門家が発信する言葉が人々の胸にすとんと落ちていないこと。そんなこんなが、この予感の背景にある。こんなときだからこそ、そもそも科学を生業とする科学者ってなんだろう、と考えてみたい。

 そこで選んだ1冊が、『職業としての科学』(佐藤文隆著、岩波新書)。ちょっと意外だが、「科学者」という職業は、そんなに伝統のある「職業」ではないらしい。そのことを、近代ヨーロッパの科学の足どりをたどりながら浮かび上がらせてくれる。

 職業として歴史が浅いのなら、僕たちも、科学者像をあまり固定して考えないほうがよいのかもしれない。時代が生み出した職種なのだとすれば、時代に合った科学者像を再設計してもよいのではないか。そんな気持ちにさせてくれる1冊だ。

おととしの事業仕分け当時、記者の質問に答える蓮舫さん。この仕分けでは、科学者の「常識」に突っ込みを入れた=2009年、東京都内で相場郁朗撮影

 著者は、湯川秀樹の孫弟子にあたる理論物理学者で、長く京都大学教授を務めた。宇宙物理、とりわけ一般相対論の大家だが、僕は個人的に「科学思想家」と呼ぶことにしている。その言説は常套句に流されず、意表を突いて見落としがちな核心を射る。

 職業としての科学はいつ現れたのかという問題でも、僕たちの常識に鋭いメスを入れてくる。「科学先進国といわれるイギリス・フランス・ドイツにも、十九世紀後半までは科学者という職業は存在しなかったが、科学上の発見はそれまでもあった」。ガリレオもニュートンも、科学者の仕事をしたことには違いないが、それは制度化された職業の営みではなかったという見方である。

 この本で詳述されるのが、英国の王立協会だ。「科学アカデミーの最古の老舗のひとつ」で、約350年前に生まれた。それは「同好の士が集まって知識を会報などで共有し、相互批判で質を高め合う自主組織」だった。発足のころ、そこに集う人々は「みな社会的地位の高い人士であり、“知識を生みだす人”とそれを支援するパトロンのクラブであった」という。いわば、財力のエリートと知力のエリートが複合したサロンである。

 1820年代ごろまでは、「貴族、聖職者、法律家、ジェントリ(貴族に次ぐ大地主・名望家)、軍人といった社会的地位と経済的基盤の強固な人々」が会員に名を連ね、そこに「『オックスブリッジ』(オックスフォードとケンブリッジ)の有力カレッジの教授や、天文台長や測量官などの政府の顕職にある人」が加わっていたらしい。それは「科学という新知識で社会を啓発する啓蒙主義の団体で、イギリス紳士の精神文化である『ノーブレス・オブリージ』(高い身分にともなう道徳的義務)の一つの発露であった」。

 そこにロマン主義の波が押し寄せる。18世紀末から19世紀前半にかけてのことだ。文学や芸術の領域で「啓蒙主義の理性に対抗して、『感性、心情、直観、自然体験、旅、太古、英雄、天才、愛』などが提示された」。それは、科学とも無縁ではなかった。ゲーテのような文人の自然現象への関心、ファラデーのようなエリート出身でない科学者の登場、航海、探検、気球乗り……。これらはみな、ロマン主義の投影とみることができる。

 こうした科学は血湧き肉躍るものだったのだろう。合理と実証を重んずる啓蒙主義の探究とは趣が異なるが、それらも含み込んで科学は開放されたようだ。「ロマン主義の風潮にのって科学が、エリートやパトロンから市民に広がった」のである。

 1830年代初め、エリート色の薄い英国科学振興協会が活動を始める。「科学を専門とする人間を会員とした、専門家の研究情報の交流団体」であると同時に「科学という職業の実現を目標に掲げた運動団体」でもあった。職業としての科学の幕開けである。このころ、科学者(scientist)という言葉も生まれたが、実際に使われるようになるのは「科学の担い手が巨匠から中産階級の職業に変わる、十九世紀末だった」。ちなみに、それまでは「科学者」も自然哲学者(natural philosopher)と呼ばれたがったのだという。

 科学が市民のものになる。それを担う人々も中産階級だ。その人たちは、科学だけで生計を立てなくてはならない。こうして科学者という「職業」が英国社会にしっかり根を下ろしたのだった。

 注目すべきは、これが明治日本の近代化とほぼ同期していることだ。少なくとも、職業人としての科学者の競争という意味では、日本はさほど遅れをとっていなかったとも言えるだろう。

 ちなみに、この科学者論は研究費論にもつながっている。啓蒙主義やロマン主義の時代は、本人の財力やパトロンの支援が科学の大きな支えだった。ところが、科学が職業人の手に渡るようになると、それに頼ってはいられなくなる。ここで出てくるのが公費である。

 英国では、政府が科学研究を支援すべきかどうかで大議論になった。政府の介入に反対論も強かったが、オックスブリッジ出身でない科学者を中心に「科学の専門家の雇用を政府関連の仕事の中に増やすこと」を政府に求める動きが強まった……。

 さて、このくらいでヨーロッパの科学小史は切りあげて、いま日本の科学界が直面している問題に話を移そう。「はじめに」を読んでもわかるが、この本が書かれた背景の一つにはポスドク冬の時代がある。博士号を得ても研究者としてのポストに就けない若手学究が多いという現実である。著者は、歴史を振り返ることで職業人としての科学者像を十分にほぐしたうえで、最後の2章で、この難題克服の方程式を解いている。

 解は、科学者の意味を広げていこうという発想だ。「狭い専門領域で論文を書き続ける論文作家だけを研究者や科学者というのではない」という考え方である。「論文の生産は重要な部分であるが、それだけではない学校教育や行政をふくむ多様な創造的仕事をこなし、また同じ人間が一生ずーっと論文作家でなく途中で役割を変えたりする」というイメージだ。こうした公共性の高い一群の営みを著者は「科学技術エンタープライズ」と呼ぶ。

 そのエンタープライズについては、「科学と技術、純粋と応用、『役に立つ』と『役に立たない』、基礎と開発、『規制』と『振興』、『進歩』と『保存』などなど、科学技術にまつわるさまざまな対抗軸の両端を含むようにできるだけウィングを広くとって考えよう」という一文もある。この本が出たのは今年1月だが、3.11を経て読むと、「規制」の一言の重みに気づく。

 科学と言えば、振興や推進ばかりを頭に浮かべてはこなかったか。よりよき規制を探る科学者や技術者がもっといれば、あのような原子力災害を食い止められたのではないか。これこそが、いま科学コミュニティーが考えるべきことの一つではないだろうか。

 著者は、文系知識人と堂々とわたり合える理系の論客である。その鋭い思考力をもって書かれた論考には、どっしりとした読み応えがある。そこで、この本については来週、もう一つ、別の読みどころを紹介してみようと思う。

 ☆この記事は、朝日新聞無料会員制サイト・アスパラクラブの書評ブログ「めざせ文理両道!本読みナビ」に同時掲載されています。