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「京都」を現代史的に検証して先に進め

米本昌平 東京大学教養学部客員教授(科学史・科学論)

 南アフリカのダーバンで開かれていた国連気候変動枠組み条約(温暖化条約)第17回締約国会議(COP17)は、マラソン交渉の末、最終日を1日半超過した12月11日早朝(現地時間)に合意に達した。その内容は、京都議議定書を延長する一方で、これに並行して、すべての国が参加する新しいCO2削減の枠組みを2015年までに妥結し、2020年に発効させるというものである。これを話し合うためのダーバン・プラットフォームの設置を決めた。

 国際合意は、参加するすべての主権国家が認めうる部分だけが文書となるから、最小限の内容に傾きがちで、どの立場にとっても都合のよい表現をとることになるから、評価するのは難しい。しかもCOP17の課題は、複雑でかつ激しい対立をはらんでいたから、決裂しても不思議ではなかった。だが最終的には、温暖化対策が不可欠であることを世界中の国々が認め、京都議定書の形とは異なった、全加盟国の参加を前提とする枠組みの交渉に合意したのであり、この成果は決して小さいものではない。

 言い換えれば、ダーバン合意は、地球温暖化問題を再確認し、21世紀初頭の事態に合わせて書き直したものである。このことは同時に、京都議定書を軸としたこれまでの温暖化交渉とはいったい何であったのか、総括すべき時点にいることを意味する。実際、来年で条約締結20年、立派な現代史研究の対象なのだ。

 COP17が異例の日程延長の末、からくも次の枠組みの交渉スケジュールで合意したのに対して、温暖化条約そのものの成立過程は極端に短く、わずか15ヶ月の交渉で成立した。

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