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芥川賞円城塔のカガクっぽいリアリティー

尾関章 科学ジャーナリスト

 難解といえば、難解な物語である。

 ひと月ほど前、僕は、不確定性原理の不等式を書き換えるべきだ、とする論文と悪戦苦闘した(WR1月23日付「教科書だって疑ってかかれ不確定性原理」参照)。おもしろいもので、どんなに難しい論文でも3回繰り返して読むと少しはわかった気がしてくる。

 今回とりあげる芥川賞受賞作の円城塔「道化師の蝶」も、同様に「3回」が必要だった。しかも、それは「気がしてくる」だけで「わかった」わけではない。

 そうだろうな、と思う人は多いに違いない。作者は、東大の大学院で物理学を修めた。師と仰いだのは、複雑系の物理学者金子邦彦さんだ。きっと科学論文のような作風だろう、という偏見があっても不思議はない。だが、それは当たっていない。書きぶりは、メルヘンタッチともいえるやわらかさだ。ただそこには、科学論文とは別の難物が待ち受けている。

 題名を見て、僕自身にもひとつ誤解があった。「蝶」の一文字に、蝶の羽ばたきが遠い国の気象にも影響を与える、というカオス科学のバタフライ効果を思い描いたのだが、そんな安直な予想はぶっ飛んだ。

 では、なんでこの小論の題を「カガクである」などとしたのか。それは、カガクであって科学ではない。反証可能なものこそ科学、といった科学の定義はひとまずおいているからだ。わかったように思えることが本当はわかっていないことを、とことんあぶり出す。そんなところが妙にカガクっぽい。わからなさに正直に向き合うからこそ難物になるのだろう。

 物語は、IからVまでの五節から成るが、Iは、それ自体が一つの作品になっている。

 主人公の「わたし」は、東京―シアトル便の機内で、本をなかなか読み進めない、という悩みに直面する。「ぱらぱらとめくるくらいはしてみたものの、例によって内容が頭に入ってこない」というから、一度ならず体験していることらしい。

 その原因を詮索して、「飛行の速度のせいなのか、文字が紙面にわずかに遅れ、慌てて追いついてくる気配がある」と書くあたりは痛快だ。たぶん理系バリバリの読者なら、本と読み手は慣性の法則で一緒に動くはず、わずかに遅れるなんてことはありえないと、かみつくだろう。そんな次元は超えているんだぞ、という宣言ともとれる一文だ。

 「わたし」は、「なにごとにも適した時と場所があるはずであり、どこでも通用するものなどは結局中途半端な紛い物」と考える人であり、倒立読書用に『逆立ちする二分間に読み切る本』があってもよい、というアイデアをひらめく人でもあるのだ。

 僕たち読者は、この最初の2ページで、ここでは書物というものに対する常識は捨てたほうがよさそうだ、と感じることになる。本とは、純然たる客体ではない。それは、読み手との関係のなかでこそ、はじめて本としての働きをもつ。そんな突き放した感覚に導かれるのだ。

 機内の話に戻ると、隣の席には、A・A・エイブラムス氏という起業家が座っていた。旅客機から旅客機へ渡り歩くという生活をしていて、ポケットには小さな捕虫網を入れている。

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