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秋季入学よりも世界を動かす「知」の構築を

寺岡伸章 寺岡伸章(日本原子力研究開発機構核物質管理科学技術推進部技術主席)

日本の最高学府とも言うべき東京大学が秋季入学を提案し、マスメディアを賑わせている。国際化が遅れている日本の大学にカツを入れようというのは分からないでもないが、秋季入学、ガウン、角帽などいまさらハーバード大学の後追いをする必要はないだろう。ハーバード大学に追随するのではなく、近代化を促進してきた「知」を生み出した欧米大学の本質を抉り、それを超越していくことこそアジアを代表する東京大学に求められることではないのか。

 ハーバード大学の学長でさえ、21世紀にふさわしい大学とは何かと思索を重ねていると聞く。日本の大学の知の衰退が垣間見えるのは残念だ。

 近代社会は西洋が生み出した哲学、歴史学、社会学、経済学、自然科学などのヨーロッパ学とも呼ばれる学問を基盤として成立したと言っても過言ではない。西洋文明は近代の窓を開いたのだ。そして、人間はより自由で、豊かになった。

しかし、欧米人は近代化を世界に広め、歴史を大きく変えてはきたが、その価値観は人間中心主義で、自然からの富の奪取の運動でもあった。もはや地球環境は欲望型人間を保護していくことはできないまでに悪化している。資源とエネルギーの枯渇に向かう時代に人間の在り方や価値観を一新する必要があるのだ。欧米文明はつねにフロンティアを求め、彼らは資源とエネルギーは無限であるとの前提で思索する。進歩は善だと考える。

 資源は有限であるという厳しい現実を受け入れなければならない時に来ている。人間は自然の一部だと認識し、自然と調和すべきなのだ。森・里・海の連環で自然環境を再生していかなければならない。そうしないと生存基盤が損なわれる。人間と自然に対する基本的な価値観の転換が必要なのだ。現代のコペルニクスよ、現れよと叫びたい。

 近代科学の手法である分析主義は限界に来ているのではないか。遺伝子をいくら解析しても生命の本質を理解することはできない。統合科学への険しい道のりを歩むべきだ。東洋文化に培われた発想を基に、新しい視点から自然を解釈する手法に挑戦すべきではないのか。いたずらに、最先端科学でつくられた遺伝子組換え食品を推奨するのは普通の人々の反発を買うだけだろう。石油由来の技術ではなく、従来の自然科学でもない、大地に根付いた科学と技術をつくっていかなければならない。

 西欧文明の特長である合理主義という発想にもメスを入れるべきかもしれない。合理主義とは理性の力で世界を支配する原理を発見し、現実世界を理想的なものへと改革できると考える思考様式である。人間の生きざまや肌のぬくもりを軽視した政治手法に利用されないような知恵が必要であろう。

民主主義は幸福を導く政治手法と信じられてきたが、衆愚政治に陥りやすく、眼前の危機への対応能力と実施力にも疑問が残される制度である。民主主義が生き残るためにも多角的で柔軟な議論が求められているのだ。

 西欧文明が産み出した金融資本主義は地球規模で共同体を破壊し、人々の暖かい絆を断ち切ろうとしている。今こそ、新しい経済学が希求されている。日本人学者はアジアやアフリカの学者と連携し、「新しい時代にふさわしい民を救うための学問」を創造していくべきではないのか。よどんだ西欧知を研究し、解釈し、学生に講義しても、その学生は未来を切り開けないのではないか。時代とミスマッチした人材を自己生産するだけだろう。

 金融資本主義が吹き荒れ、ユーロ危機、ドル危機、国債暴落危機、エネルギー・食料危機、貧富の格差など世界のシステムが崩壊へと向かおうとしている時、日本の大学の先生方が行うべきことは知の再構築あるいは21世紀に人類が生き延びていく思想の創造である。

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