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東京を救ったのは菅首相の判断ではないか

竹内敬二 元朝日新聞編集委員 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

「菅首相が介入しすぎて原発事故対応が混乱した」。先日発表された民間事故調(福島原発事故独立検証委員会)の報告書がメディアで紹介される中で、こんな話が広がっている。

 ちょっと待って欲しい。私もマスメディアで働く一人なので一般化していうのは気が引けるが、これは、多くのマスメディアが「話がおもしろく、書きやすい同じ部分」を一斉にとりあげたことで、一つのイメージが集積したものではないか。報告書は約400ページの長文だが、事故を幅広い視点から検証している。「菅批判」が報告書の内容を表す第一のメッセージではないだろう。私自身が、これまでの取材と、この報告書の内容も含めて感じているのは、「菅首相は細かく介入し、混乱もしたが、東電の撤退を止め、『東京も避難』という事態を防ぐ大仕事をした」ということだ。

 報告書は独立系シンクタンクがまとめた。事故後に起きたことのほか、事故の「遠因」にあたる「歴史的、構造的要因」や、「原子力安全レジームの中の日本」といった国際的視点からも分析している。構成は重層的だ。

 これを紹介する報道で、「菅批判」が広がった。2月28日朝刊では「官邸の初動、混乱要因に」「菅首相介入で混乱拡大、バッテリーは縦横何メートル?携帯で自ら確認」「菅首相『おれに報告しろ』」「菅氏の個性、正負両面に」。そして、その日の夜、翌日のテレビでも同様の主張が多かった。新聞やテレビの報道から受ける最大のメッセージは、「菅首相の過剰介入」だったろう。

 なぜこうなったか。私は、メディアのある種の特性がかかわっていると思う。報告書は分厚く、バランスよく描かれている。しかし、メディアにとっては、報道するまで(記事を書くまで)の時間が少なかった。十分に読みこなせず、「何に焦点を当てようか」と考えたときに、わかりやすく、とっつきやすい「菅批判」に流れたのではないか。そして、新聞のその論調をみて、テレビも追随した――。

 メディアによる自己増殖と集積である。筆者も記者会見を聞き、報告書も読んだ。興味深い話が多々あるが、やはり十分に読み込む時間はなかっただろうと思う。

 さらにいえば、報道された内容は、少し間違ってもいる。元TBSキャスターで内閣審議官の下村健一氏が、「つまみ食いは各メディアの自由だけど」としながら、このイメージのゆがみをツイッターで発信している。下村氏は、当時、官邸にいてさまざまな場面に立ち会った。

 以下は下村氏のつぶやき。「まず、大きく報道された、《電源喪失した原発にバッテリーを緊急搬送した際の総理の行動》の件。必要なバッテリーのサイズや重さまで一国の総理が自ら電話で問うている様子に、『国としてどうなのかとぞっとした』と証言した”同席者”とは私。ただし、意味が違って報じられている」

 「これ、『どうなってるの』、と総理から何か質問されても、全く明確に答えられず目をそらす首脳陣。『分からないなら調べて』と指示されても、『はい』と返事するだけで部下に電話もせず、固まったまま、という光景を何度も見た。これが日本の原子力のトップたちの姿か、と戦慄した」

 「私は、そんなことまで自分でする菅直人に対し『ぞっとした』のではない。そんなことまで一国の総理がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように動かない居合わせた技術系トップたちの有り様に、『国としてどうなのかぞっとした』のが真相」(以上、下村氏のツイッター)

 しかし、報道では菅首相批判を支えるデータとして使われた。

 報告書は、菅首相の強い自己主張について、「判断の難しい局面で、菅首相の行動力と決断力が頼りになったと評価する関係者もいる一方、菅首相の個性が政府全体の危機対応の観点からは混乱や摩擦の原因ともなったとの見方がある」と、「両面」を書いている。

 この事故報告書とは関係ないが、首相が「ベント」を指示したことにも批判的な意見がある。2月末、米原子力規制委員会(NRC)の元委員長が国会の事故調で証言し、「米国では、大統領がそうした決定をすることはない」といったことから広まった。

 これも状況を知る必要がある。確かに菅首相(正式には海江田経産相)が12日午前6:50にベント命令を出したが、それには前段がある。

 事故直後、3月11日夜のうちから、菅首相の周囲にいた人は、全員が格納容器のガスを抜く「ベント」が必要だと合意し、東電も「やる」と言った。しかし、いつまでたっても実施しなかった(できなかった)ので官邸がいらだった。12日午前1:30には、東電が海江田経産相にベント実施を申し入れ、午前3:06には経産相らが「ベント実施」を会見で話した。それでもベントはできず、海江田氏が武黒・東電フェローに「なぜできないのか」といっても、「わかりません」という返事が返ってくるだけだった。その中で官邸側が「命令するしかない」と考えたのである。実際は、現場は停電している中でのベントのマニュアルもなく混乱していたようだ。ベントは結局、9:15ごろから手動で着手された。圧力低下が確認されたのは午後2:20と遅れた。午後3時すぎ、水素爆発が起きてしまった。

 この爆発によって原発内もひどく放射能に汚染され、復旧作業が難しくなった。その後、3号機、2号機と相次いで炉心溶融がが起き、3、4号機の建屋も爆発するという負のドミノが起きた。ベントがうまく実施され、最初の1号機の爆発が起きていなかったら、事故は相当抑制されたものになっていた可能性が高い。ベントの遅れはそれほど大きな意味をもっていた。

 「大統領はそんな細かい命令はくださない」という一般的な話ではなく、少しでも早くベントをしなければならないのに、当時、東電、保安院など当事者の事故対応が崩壊していた。そんな異常状態でのできごとだったことを認識しなければならない。

 この報告書を読んで、私が改めて認識したのは、「東電の撤退の申し出」の重大さだ。1、3号機で水素爆発が続き、2号機で格納容器の圧力が高まり大爆発の危機が迫っていると思われていた15日未明、東電が撤退を申し出た。

 東電は、いまでは「全面撤退を企図してはいなかった」といっているが、当時、未明に何度も何度も官邸に電話してきたこと、「部分撤退の内容」を何らいっていないことなどから、事故調報告書でも、東電が全面撤退を申し出ていたとほぼ断定している。清水東電社長と話した海江田経産相、枝野官房長官、細野首相補佐官のいずれもが「全面撤退」と受け止めていた。清水社長は「とてもこれ以上は現場はもちません」と言ったという。

 撤退を止めたのは菅首相だ。枝野氏らは問題の深刻さから「首相しか判断できない」として、午前3時20分に仮眠中の首相を起こした。

 菅首相は、「もし、撤退したら、1~3号機の原子炉と4号機の使用済み燃料プールは制御できなくなって順番に爆発し、放射能が飛散して、東京までも避難することになる。チェルノブイリどころではない」といい、東電に断念させた。「撤退したら東電はつぶれる」といった言葉が報道されたが、「撤退したら東京がつぶれる」とも言っていた。

 私は、この判断ひとつだけでも、「官邸の介入は成功した」と考えたい。その時も菅氏は周囲に相当どなったらしいが、そんなことはどうでもいい。あそこで、原発のコントロールを断念していたら、首都圏も住めなくなっていたかも知れない。

 さて、この民間事故調報告書の最大の特徴は、「首相官邸」と「東電」という二つの大きな存在にタブーなく切り込んでいることだ。「だれが対応に失敗したか」という知りたいところを書いている。なお東電は民間事故調のインタビューに応じていない。原発事故では、すでに政府事故調の報告書(中間報告)がでている。これも本文編が約500ページの大部なものだが、「官邸」と「東電」へ気をつかっている。

 民間事故調は、これらの組織をどう書いているか。

 官邸に対しては、「官邸主導による過剰なほどの関与と介入は、マイクロマネジメントとの批判を浴びた。菅首相が個別の事故管理(アクシデントマネジメント)にのめり込み、全体の危機管理(クライシスマネジメント)がおろそかになったことは否めない」「菅首相の強い言葉遣いや相手を試す詰問調の質問が、官僚や助言者を萎縮させたケースも多かった。14日の3号機の水素爆発の後など、菅首相の言動は時に、斑目春樹原子力安全委員長の表現を使えば、『テンパッた』印象を与えた」と書いている。

 東電。「事故の際の東電の手順書(事故時運転操作手順書)は全電源喪失を想定していない。東京電力は過酷事故に対する備えを用意していなかった。オペレーターたちはだれ一人として、それまでIC(非常用復水器)を実際に動かした経験はなかった。彼らは全電源への喪失への対処の教育、訓練を受けないまま、マニュアルもなく、計器も読めない、真っ暗闇の危機のただ中に放り込まれたのである。最後の頼みの綱の冷却機能が失われたのに、対応が12日早朝までなされなかったことは、この事故が『人災』の性格を濃く帯びていることを強く示唆している。『人災』の本質は、過酷事故に対する東電の備えにおける組織的怠慢にある」

 保安院。「規制に関わる官庁は東電を規制しているようで道具にされている、と官邸スタッフが告白した」「規制官庁側と東電との関係は、実際は技術力、情報力、政治力に優る東電が優位に立っていた。危機にあたって、保安院は、東電の資源と能力と情報に頼って対応せざるをえなかった。しかし、危機は、東電の能力の限界をはるかに超えていた。今回の原発危機は何よりも、安全規制ガバナンス危機として立ち現れた」

 いずれの記述も「そうだったんだろうなあ」という納得度の高いものである。

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