メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

日英が武器共同開発へ~新たな武器輸出原則が必要だ

高橋真理子 ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネーター

日本と英国が防衛装備品の共同開発・生産を始める。来日した英国のキャメロン首相と野田首相が4月10日に発表した。防衛装備品とは聞き慣れないが、昔は武器と呼ばれていたものである。昨年暮れに野田内閣が武器輸出三原則の緩和を決め、米国以外でも技術協力できるとなって、さっそく英国が共同開発の相手国に決まった。さらに、他の国からも非公式の打診が次々来ているという。だが、武器輸出について「国際共同開発ならOK」というルールはあまりに緩すぎる。共同で作っていいものと、開発に関与すべきでないものは厳然としてある。秘密のベールの中で進む武器開発だからこそ、最初にもっと明確なルールを作らなければダメだと思う。

 武器輸出をしないし、武器技術の供与もしない、という日本の原則は、戦後長らく貫かれてきた。1967年に佐藤栄作首相が(1)共産圏(2)国連決議で禁止された国(3)国際紛争の当事国やおそれのある国、の3対象には武器輸出を認めないという方針を表明した。「三原則」の名前はここから来ている。76年に三木内閣がそれ以外の国へも武器輸出を慎むとして、武器の全面輸出禁止が定着した。しかし、中曽根内閣が米国に限って武器技術の供与を認めると方針転換、84年に日米の協議機関として武器技術共同委員会を発足させた。2005年、小泉内閣は弾道ミサイル防衛(BMD)システムの共同開発・生産は三原則の対象外とすると発表、06年度からイージス艦に搭載する迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」の日米共同開発が始まった。

 この三原則緩和の流れを、民主党政権はさらに加速した。10年暮れ、菅内閣は新防衛大綱に共同開発・生産の相手を米国以外に広げると明記しようとしたが、社民党の意向に配慮して見送る。しかし、11年9月に前原誠司政調会長が米国ワシントンの講演で武器輸出三原則を「見直すべきだ」と明言。暮れに野田内閣が「平和・人道目的や、国際共同開発・生産への参加であれば容認」と条件を緩和することを決めた。

 緩和の目的は「わが国防衛産業の生産・技術基盤を維持・高度化し、コストの削減を図っていく」(官房長官談話)ことだという。共同開発の基準は、「わが国と安全保障面で協力関係があり、その国との共同開発・生産がわが国の安全保障に資する場合に実施する。参加国の目的外使用や第三国移転についてわが国政府による事前同意を義務づけるなど厳格な管理を前提として海外移転を可能とする」とあるだけだ。開発の中身については何の歯止めもない。しかも、「厳格な管理を前提として」も、思わぬところに流れていくのが武器というものではないか。そんな前提だけで第三国移転を認めてしまっていいのか。あまりに緩い基準といわざるをえない。

 国内なら、曲がりなりにも「専守防衛」の基本方針がある。だが、国際共同開発となれば、そのタガも外れ、あらゆる武器の開発に日本が関わっていくことになりかねない。

ジョセフ・ロートブラット卿(94年、ロンドン)

 米国の原爆開発計画の一員となりながら、途中で去った物理学者ジョセフ・ロートブラット卿(核兵器と戦争の廃絶を目指すパグウォッシュ会議の創設メンバーで、1995年に同会議とともにノーベル平和賞受賞)は、

・・・ログインして読む
(残り:約827文字/本文:約2137文字)