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「武見時代」終焉を告げた森亘氏と脳死臨調

米本昌平 東京大学教養学部客員教授(科学史・科学論)

 去る4月1日に森亘(もり・わたる)氏が逝去された。東大医学部長、東大総長、日本医学会会長などを歴任し、文化勲章を受章した、文字通り日本医学界の本流を歩いた病理学者である。

 だが森氏の重要な役回りは、広い意味で政治的なものでなかったかと思う。それは、医師による医療の独占的支配が、時代の変化とともに音を立てて崩れていく中、その権力構造の変化に伴う軋みを、森氏の温和な人柄がすべて吸収してしまうことで医学界の重しとなった、またとない人物であった。

 日本の社会は、80年代を通して「脳死は人の死か」という、まったく未経験の難問に直面し、結論に到達するまでに多大のエネルギーを費やした。最終的には、価値にかかわる政治的課題だとして国会がとり上げるところとなり、90年に議員立法によって「臨時脳死及び臓器移植調査会(脳死臨調)」が置かれた。森氏は、脳死臨調の中で数少ない医学系委員として副会長の座を引き受け、答申のとりまとめに尽力したのである。

 脳死臨調の答申は、表面的には、脳死を人の死と認めた初めての公式文書であるのだが、それよりも重要なことは、これが「武見時代」の終りを最終宣言する、政治文書であったことである。

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