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ローカル化が日本を救う〈下〉

広井良典 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

 きのうまでの議論を振り返ると、今後の方向として「付加価値戦略」と「ローカル化戦略」という二つを挙げ、とくに後者との関連で「サービス化」の話をしたわけだが、なぜこれからの時代は「ローカル経済」なのかについて、若干の整理をしてみよう。

 そもそも「ローカル経済」が重要であるとする議論の類型として、次のようなものがあると思われる。

(1)環境ないしエコロジー的な視点からのもの……食料やエネルギーの地域的自給
(2)消費行動の変化に注目するもの
(3)生産構造ないし産業構造の変化に注目するもの

 (1)は、エコロジー的な観点から、資源の生産や消費はできる限り、その地域内で自給できるようにすべきだ、とする考え方である。以前からバイオリージョナリズム(生命地域主義)といった理念があるが、(1)のような考え方を指標化した一例として、日本でもときどき言及される「エコロジカル・フットプリント」があり(カナダのブリティッシュ・コロンビア大学のウィリアム・リース教授とマティース・ワケナゲル研究員が開発した指標)、これは簡潔に言えば、ある地域でその域内の消費をまかなうためにはどのくらいの土地が必要になるかを示すものだ。

 この指標を使って、たとえば東京都のエコロジカル・フットプリント面積は都の総面積の276倍と推計されたり、アメリカの1人あたりのエコロジカル・フットプリントの規模を世界中のすべての人々が使うとすれば地球が5・1個分必要になる、などといった計算がなされたりすることになる(工藤〈2006〉参照)。日本では、経済評論家の内橋克人氏が以前から「FEC自給圏」という考え方――食料(food)、エネルギー(energy)、ケア(care)は、できる限りローカルな地域でまかなうようにする――を提唱しているが、これも(1)の理念の系譜に属するものと言えるだろう。

 一方、(2)はむしろ経済的な側面、特に人々の「消費」ないし志向の方向に着目するもので、人々の消費の傾向ないし志向が「ローカル」なものに向かっているとするものである。たとえば、アメリカの都市経済学者のリチャード・フロリダは著書『クリエイティブ資本論』の中で、これからの資本主義を牽引していくのは、文化、科学、デザイン、教育などの「クリエイティブ産業」であるとしつつ、同時に人々の関心は、グローバル資本主義にをめぐる通常の議論とは逆に、むしろ「場所」や「コミュニティ」といったローカルなものに向かっていくと論じる(フロリダ〈2008〉)。また個別の話題では、今後「シェア」への志向(ルームシェア、カーシェアなど)が強まっていくといった議論も、ローカル化という方向と関連しているだろう。

 消費のローカル化という点については、もう一つ重要な構造変化がある。さきほど高齢者に対するメンテナンスサービスに言及したが、高齢者は(カイシャから引退しているという点も含めて)基本的に「地域」との関連が強く――私は高齢者と子どもを「地域密着人口」と呼んできた――、また身体の特性から考えても比較的身近な場所での消費を志向する。全国に600万にいると推計されている「買い物難民」の問題はこうした象徴的な例であり、逆に言えば、人口の高齢化が今後着実に進んでいくことは、自ずと消費あるいは経済の「ローカル化」を進めていく構造的な要因の一つになるのである。

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