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日本もついに木星探査へ<下>

山内正敏 地球太陽系科学者、スウェーデン国立スペース物理研究所研究員

 米国以外の初めての木星探査機である、欧州宇宙機関(ESA)のJUICE木星探査計画と日本のつながりは深い。

 欧州では2020年代打ち上げの次世代大型計画「コスミック・ビジョン2015−2025」のアイデア募集が2005年から始まり、それを受けて、日本と一緒に木星を目指そうという機運が欧州の太陽系科学者の間で盛り上がった。というのも「ベピ・コロンボ」水星探査計画のお陰で日欧協力が強固なものになりつつあったからだ。欧州から相談された日本側では、水星の時と同じように日本独自の木星探査機を打ち上げ、欧州とのランデブーで木星を目指せないかと検討する専門家チームが結成された。2006年のことだ。こうして日欧の共同作業が始まり、最終的にJUICEの原案となるミッション計画をESAに提出したのである。

 木星探査が次世代大型計画の最有力候補の一つになったころ、米国からも一緒にやりたいという申し出があり、一時は、欧州(ESA)、日本(JAXA)、米国(NASA)が連携しながら、それぞれ木星を目指すという構想にまで膨らんだ。しかし、3機計画は実現しなった。というのも、予算規模の関係で、日本独自の探査機計画への合意形成に時間がかかり、欧州側の各種締め切りに間に合わなかったからだ。決して技術的な問題ではなく、予算と時間(マンパワー)の問題だった。米国のほうはNASA予算の大幅カットで計画が突然白紙に戻された。

 なお、この過程で欧州の日本への信頼は更に高まった。というのも、実現しなかった場合の相手の迷惑を日本は考えて見送ったが、NASAは後から入って来て、そのために欧州原案を大きく変更せざるを得なくなったにもかかわらず、突然撤退したからだ。欧州側はぎりぎりのタイミングで再度ミッション計画を修正するはめになった。

 こうして決定したJUICE計画は、

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