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死亡急増時代と「鎮守の森ホスピス」 〈上〉

広井良典 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

死亡急増社会としての現代日本

 敬老の日の後という時期にある意味で“縁起でもない”表現となるかもしれないが、現在の日本が「死亡急増社会」であることは確かな事実である。私自身、これまでターミナルケアや死生観について多少の研究を行ったりしてきたので、この話題については既に様々なところで論じてきた。

 基本的な事実をまず確認すると、日本における年間の死亡者数は、高度成長期の1960年代~80年代頃は約70万人で推移していたが、90年代頃から徐々に増加し、2010年には120万人となり、今後さらに167万人(ピークは2040年前後)にまで増加するものと予測されている(国立社会保障・人口問題研究所2012年推計)。超高齢化の進展とともに、まさに私たちは「死亡急増時代」を迎えている。

 もう一つ興味深い事実として、死亡場所については、しばしば指摘されてきたように、高度成長期を通じて「病院」で亡くなる人の割合が一貫して増え続け、2000年には約8割に達していたが(ちなみに高度成長期初めの1960年時点では約8割の人が自宅で死亡)、実は病院死の割合は2006年に初めて減少に転じた。

 その後も病院で亡くなる人の割合は少しずつ減少しており、逆に自宅や老人ホームなど福祉施設で亡くなる人の割合が徐々にではあれ増えつつある。いわば高度成長期と“逆”のトレンドが始まろうとしているわけであり、象徴的に言えば、「老い」や「死」というものを地域から遠ざけていた時代から、それらをもう一度ゆるやかに地域に戻していくような時代が始まりつつあるのだ。

 しかしながら、ここで論じたいテーマはもう少し先にある。それは、こうした大きな時代の構造変化の中で、死生観とも一体となりながら、看取りのあり方や、死にゆく人々を「送る」ことの意識や様式が日本社会において今後どのように変容していくかという点である(筆者が理事として関わっているNPO法人・日本医療政策機構でも、こうしたテーマに関する「EOL(エンドオブライフ)ケアセミナー」を最近スタートさせた。

 こうしたテーマについてもこれまで多くのことが論じられてきているが、ここで注目してみたいのは、私がここ数年進めてきた「鎮守の森」に関するプロジェクトとの関わりだ。

 この欄でもこれまで幾度かにわたって記してきたように、私は日本の各地に多く存在する「鎮守の森(ないし神社)」――お寺と並んでその数は全国で8万数千におよび、中学校の数(約1万)やコンビニの数(約5万)より多い――、を現代の地域コミュニティにおける貴重な“社会的資源”として再評価し、積極的に生かしていくことが重要ではないかと考え、その柱の一つとして、そうした鎮守の森をローカルで分散型の自然エネルギー拠点の整備と結びつけていく構想を提案し進めてきた(以前の本欄での「『鎮守の森』のエネルギーコミュニティ」(2011年5月)、「『鎮守の森の自然エネルギー』最新報告」(2013年6月)参照)。

 そうした関係でこの夏は、そのような構想に関心を示してくれている全国各地の神社を集中的に訪問し――どちらかというと小規模で、まさに「鎮守の森」という感じの場所が多い――、小水力発電など自然エネルギー導入の可能性などについて打ち合わせを重ねてきているのだが、そうしたやりとりの中で、本稿でのテーマと関連する興味深い事実を知ることになった。

 それは「神葬祭(しんそうさい)」、つまり神道方式の葬儀を希望し行う人が最近増えているという点である。

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