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日本版NIH問題で明らかになった 日本の研究文化のダメなところ<上>

佐藤匠徳 生命科学者、ERATO佐藤ライブ予測制御プロジェクト研究総括

 医療分野の研究開発に関する総合戦略が平成26年1月22日に発表された。医療分野の研究開発を一元的に推進、展開するために内閣総理大臣を本部長とする健康・医療戦略推進本部を作り、新しい独立行政法人を設置するといった内容だ。昨年からさまざまなマスメディアで報道されてきたいわゆる「日本版NIH」構想である。

 NIHとは米国の国立保健研究所の略称だ。筆者は、この「日本版NIH」騒動を通じて、日本の研究開発の世界の特異性が明らかになったと痛感する。とくに21世紀になっても未だに基礎研究と応用研究を分ける傾向が、多くの研究者、政府関係者、一般市民の中に根強くあるのは驚くべきことだ。これは、日本において未だに文系と理系をわけることが世間一般で当たり前になっていることに通じるものである。

 米国のハーバード大学、テキサス大学、コーネル大学などで15年以上生命科学の研究をし、10年以上米国NIHから研究費を毎年頂いてきた筆者の目からみた日本の奇妙な研究文化について以下にまとめる。

研究者が自分自身を基礎か応用に分類してしまう奇妙な慣習

 筆者が5年前に日本の大学にきて驚いたことのひとつが、医学や生命科学分野の多くの研究者が、自分は基礎研究者、自分は臨床研究者、と自ら自身を分類していることだった。

 米国の医学、生命科学でも、もちろん基礎研究分野、臨床研究分野、そのふたつをつなぐトランスレーショナル研究分野という分類は存在する。しかし、

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