メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

「科学者の自由な楽園」と呼ばれた理研を思う

秋山仁 数学者、東京理科大特任副学長

 STAP細胞は、科学関連のニュースとしては異例の関心をひく事態になってしまっている。先週は、専門誌ネイチャーに掲載された論文に寄せられた疑義に対して、理化学研究所による調査の中間報告会見が4時間近くもの時間をかけて行われた。

 「理化学研究所(理研)」と聞いて私の頭に真っ先に浮かぶのは、昭和初期に 数年理研に在籍した朝永振一郎先生の『科学者の自由な楽園』等の軽妙洒脱なエッセイである。のちにノーベル物理学賞を受けた朝永先生は、理研の当時の雰囲気をこんな風に書いていた。

 (大御所の)先生も若い者も、お互いに全然遠慮なく討論し合える全く自由な空気があった。その雰囲気は、外国の大学や研究所では当たり前だったが、当時の日本ではありえなかった。学閥も、個々の研究について外からの指示命令もなく、予算や人員で困ることもなく、実に何もかものびのびとしていた。自由だから、逆に、良心が研究に対する責務を強く感じさせ、研究意欲が煽られた(ここまで抜粋と要約)。
1965年10月21日、ノーベル賞物理学賞の受賞が決まった東京教育大教授の朝永振一郎さん。朝永さんの古巣、理化学研究所には22日、かつての同僚たちがおおぜい駆けつけていた。朝永さんの理論は、ここで芽生え育てられた。左から理研理事長長岡治男氏、理研主任研究員一宮虎雄氏、立大教授田島英三氏、朝永さん、理研主任研究員山崎文男氏、同宮崎友喜雄氏

 「よい研究者たちがそこへいって研究したいという意欲をそそる環境を生み出すこと(がよい研究所をつくるために一番肝心なこと)だ。研究にとって何より必須の条件は、なんといっても人間である。そして、その人間の良心を信頼して全く自主的に自由にやらせてみることだ。よい研究者は何も外から命令や指示がなくても、何が重要であるか自ら判断できるはずである」(『科学者の自由な楽園』朝永振一郎著 岩波文庫)。

 現在の理研は、果たしてどういう雰囲気なのだろうか。

 中間報告の会見の中で、

・・・ログインして読む
(残り:約1594文字/本文:約2256文字)