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「謝罪文化」の根深さを見せつけられた小保方氏の記者会見

高橋真理子 ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネーター

 日本人はすぐ謝るが、欧米人(あるいは中国人)は簡単には謝らない。よく聞く話である。実際、記者会見を開く日本人たちはしばしば深々と頭を下げる。そして、それを見た人は、謝罪したことを評価し、すべてを水に流してしまう。「謝れば許してもらえる」というのが日本文化なのだろう。だから、水に流してもらいたいがために誰もがすぐ謝る。しかし、それでいいのか。小保方晴子さんの4月9日の記者会見を見て痛感したのは、そのことだった。

会見で頭を下げる小保方晴子さん

 2時間半に及ぶ小保方さんの記者会見のポイントは3つあった。(1)不注意、不勉強、未熟さを謝った(2)理化学研究所調査委員会に対し「十分な聞き取りをしてもらえなかった」と不満を訴えたものの、理研や調査委員会、共同研究者に非難の言葉を一つも投げなかった。逆に、自分の至らなさのせいで「皆さんにご迷惑をかけた」とわびた(3)泣いた。

 謝り方としては、完璧だ。とくに私が感心したのは(2)だった。人のせいにしていない。責任逃れをせず、自分が悪かったと言っている。これは目上の人間からすれば、非常に好ましく映る点だ。とくに共同執筆者である笹井芳樹副センター長が公の場で発言していない段階で、彼女が1人で「私の間違いでした」と謝ったことに「立派だ」という声が出ても不思議ではない。いや、私もそこは「立派だ」と思った。

 (3)については、謝り方として良かったのかどうかは、よくわからない。同情心をかき立てられた人も大いにいただろうが、興醒めした人、「これでは仕事人として失格」と思った人もいる。

 ともあれ、彼女は記者会見で謝った。理研の幹部も謝ったが、地位の高い人々がずらりと頭を下げるのと、若い女性が1人で頭を下げるのでは印象はかなり違う。「不憫」という感情が多くの人の心にわき上がったことだろう。ネットにあふれたコメント類を見ると、ずいぶん多くの人が「説明に納得した」「小保方さんを信じる」「がんばって研究を続けて」「小保方いじめはいい加減にやめてほしい」などと小保方さんを擁護している。「STAP細胞が確認されたら、いま小保方さんを非難している人たちは謝るんでしょうね」などという声もある。一方で、科学界から出てくるのは、「何ら疑問点は明らかにされていない」「研究不正があったことは否定できない」といった厳しい声だ。

 なぜこれほど落差があるのか。普通は科学の研究とはどういうものか知らないからだと思う。「不注意」も「不勉強」も「未熟さ」も、省みれば誰しも自分にもあることだと思い当たる。それを潔く認めて謝ったのだから、もういいじゃないか、というのが、ごく平均的な感想なのだろう。

 しかし、

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