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ロボット研究の「不気味の谷」と「後ろめたさの落とし穴」

岡田美智男 豊橋技術科学大学教授(ロボット工学)

  ロボット研究の「不気味の谷」とは、1970年代初頭に東京工業大学教授だった森政弘氏によって指摘された現象である。本物に似せようとすればするほど、本物から離れていってしまう。本物との差異が際立ってしまい、むしろ不気味さを生み出してしまう。例えば、猫に似せたロボットを追求していく中で、いつの間にか、猫の剥製(はくせい)のようなものになっていた。あるいは、人の表情に近づけようとしていたら、なんだかデスマスクのようなものになっていたというものである。

 アンドロイドやジェミノイドの研究では、実際の人の表情や身体の動きの一部をモーションキャプチャで取り込み、それをロボットの動きとして使用することで、その不気味さを緩和させているようだ。

 最近、私は人とかかわるロボットが抱えるもう一つのジレンマに気がついた。それは「後ろめたさの落とし穴」とでも呼ぶべきもので、発端となったのは、桜の咲く公園の中で偶然に目にした光景である。

 ある朝に「花見でもしようか……」と近くの公園に出かけたのだけれど、あいにく、小雨模様でまだ肌寒い。しかし、そこは人出もまばらなこともあり、静かに花見をするにはいい雰囲気であった。そんな中で、一人でポツンと佇(たたず)むおばあちゃんの姿を目にした。

 「あぁ、花見をしているのかな……」と、すこし近づいてみると、その胸の中には小さな縫いぐるみ型のロボット。おばあちゃんはその小さなロボットを胸に抱えて、一緒に花見をしていたのである。「きれいだねぇ……」「ねぇ、きれい、きれい」とロボットに優しく語り掛けながら。

 高齢者が子犬や猫を抱えて、一緒に公園を散歩する姿はよく目にする。それがここでは小さなロボットに置き換わっただけなのだ。その意味では、「あぁ、そういう時代なのかなぁ」とそこを通り過ぎることもできたのだろう。ただ、その光景はとても複雑な気持ちを抱かせるものだった。なにか痛々しさのようなもの、後ろめたさのようなもの、そして居たたまれなさのようなものをそこに感じたのである。

 こうした姿になぜ痛々しさや後ろめたさを感じるのか。

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