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“STAP細胞狂想曲”を超えて――情報的生命観の先にあるもの 〈上〉

広井良典 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

 STAP細胞とそのメディア報道をめぐる騒動が収まりつつある。日本社会そして日本の一部メディアの常として、物事の表層と人間関係のみを追いかけ、「熱しやすく冷めやすい」体質は変わらず、関心やターゲットは次のゴシップ的スキャンダルに移っている。

 しかしながら、STAP細胞が存在するかどうかという論点を超えて、いま生命科学の領域に起こりつつあるのは、17世紀の科学革命以降の近代科学が前提としていたような、生命観ないし自然観そのもののかなり深いレベルでの問い直しであり、私たちはそうした点に関する議論こそ行っていくべきではないのか。ここでは科学史的な視点をベースにしながら、中長期的な時間軸のもとで、近代科学の生命観そのものの展望に関する若干の考察を行ってみたい。

エネルギーと生命

 最初にきわめて大づかみな歴史的把握を行うことを許していただければ、17世紀にいわゆる「科学革命scientific revolution」がヨーロッパで起こり、近代科学なるものが成立して以降、科学における基本コンセプトは、大きく「物質→エネルギー→情報→生命」という形で展開してきたと言えるだろう。この場合、最初の「物質」はニュートンの古典力学に象徴されるもので、天体の運行を含め、物質ないし物体の運動やその力学的関係の法則的把握が基本テーマとされ、やや遅れて化学の諸分野が展開していった。

 やがて19世紀になると、産業革命以降の工業化の急速な進展という社会的背景ともあいまって、熱現象や電磁気という、ニュートン力学では十分に扱われていなかった現象の解明に大きな関心が注がれようになる。こうした中で、「エネルギー」という新たな概念が生まれることになり、いわゆるエネルギー保存則が、1838年から47年にかけて、マイヤー、ジュール、ヘルムホルツという3人の科学者によって独立に発見されたことはよく知られた事実である。

 19世紀半ば以降、後にも見ていくように生命現象に関する様々な探求も進みつつあったが、ここで興味深いのは、当時のドイツには、生命現象も含めた自然現象を「エネルギー」概念で把握しようという考え方が、一定の有力な勢力となっていたことである(エネルギー論ないしエネルギー一元論Energetikと呼ばれる)。代表的な論者としてオストヴァルト(ドイツの化学者、1853-1932)がおり、彼は「生命エネルギー」ということを考え、生命現象も含めて「あらゆる自然現象はエネルギー自身またはその多重な転換の表出にすぎない」と論じていた。

 さて、ここで留意すべきは、現代の私たちは、「力」「エネルギー」「生命」といった基本概念が、当初から明確に確立され定義づけけられた概念として存在しているように思いがちであるが、実際はそうではなく、以上のように「力とエネルギー」そして「エネルギーと生命」は、それぞれ未分化な概念ないし用語だったという点だ。

 この文脈で連想される人物はやはり、「エンテレヒー」という生命に固有の概念を唱え、有名なウニの卵の発生に関する実験(1891年)を通じて生命現象は物理化学的な説明や法則では解明できないという“新生気論”を提起したドイツの生物学者ハンス・ドリーシュ(1867-1941)である。

 興味深いことに、ドリーシュは上記のような「エネルギー一元論」を厳しく批判し、「エンテレヒーはエネルギーではない」としつつ、エネルギーは量的なものだがエンテレヒーは「量的な特徴をすべて欠いている。エンテレヒーは関係秩序であり、それ以外のものではない」と論じて、先ほどのオストヴァルトのような「生命エネルギー」といった理解の仕方を断固として否定したのである(ドリーシュ『有機体の哲学』(米本(2010))、本多(1981)参照)。

 いま19世紀における「力→エネルギー→生命」という概念の展開を見ているのだが、しかしこの後、生命科学あるいは生命現象の解明は、ある意味で以上とは大きく異なる方向に進むことになる。すなわちそれは「情報」概念の導入を伴った、「情報的生命観」あるいは「生命=情報」観ともいうべき理解の展開に他ならない。

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