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続・温暖化対策、目標があってこそ現実化できる

日本経済研究センターの提案政府原案の異なる点。もっとダイナミックな構想力を

小林光 東京大学教養学部客員教授(環境経済政策)

 前稿(5月22日)では、地球温暖化対策のような目標の達成をめざすときには、個々の分野での部分最適をめざす計画とは異なる大きな構想力が必要であることを論じた。この考えを発展させて国の削減目標のあり方を考える。

 論者は、(公財)日本経済研究センターの研究顧問(当時)として、同センターの他の研究員と共に、日本におけるCO2の排出量の将来予測やそれを踏まえた目標の在り方を検討し、2月27日付で発表した(「2050年、05年比でCO2の6割削減は可能」)。本稿では、この内容の説明を繰り返すのではなく、政府の原案とは違った提案となった理由を少し考察してみたい。

 結論から申し上げれば、政府の目標づくりは、これまで述べてきた部分最適型の計画づくりの発想に少し囚われ過ぎているのではないだろうか、と感じるのである。

 我々の提案に係る目標は、エネルギーの国際価格の増高のトレンド、そして他方での国内での人口減少を併せてみると、そもそもエネルギーの需要量自体が、2050年度には05年度に比べ、4割以上減少することを踏まえている。逆に言えば、エネルギーの需要量が減らないと、化石燃料輸入に伴う対外支払いの増高によって、国内の成長を支えることすらできなくなるのである。省エネには、もちろん投資が必要であるが、マクロで見ると大きな純負担ではないし、また長い目で見ると、むしろ儲かりさえする。

 そのことを前提に、電力の需要に対して、技術的に可能でまた経済的に見ても極端な負担とならない範囲で再生可能エネルギーによる供給を政策的に拡大していくとすると、CO2単体では、05年度比6割程度の削減になるのである(30年度であれば3割弱の削減)。なお、炭素貯留は考慮し、海外削減やコ・ジェネレーションの積み増しは考慮していない。

 政府の原案は、CO2単体ではなく単純には比較できないが、数値的には、この日本経済研究センターの研究結果に比べ削減割合がやや劣ると思われる。その違いが生まれる背景を考えてみると、次のようなことがあるのではないかと論者には思われる。

 その第一は、エネルギー価格の上昇に伴い、産業の比較優位に変化が生じ、産業の内外配置、つまりは国内産業構造が変わっていくことを見込むか否かである。政府の計画は、経済成長を今の産業構造のままで果たすことを前提にしているように思えてならない。つまり、環境といった新参者は、経済の姿に影響を与えないように参加しなさい、という訳である。

「経済に影響を与えない削減目標」とは? 

 京都会議の時にも、記憶があるが、日本が、CO2等の2010年ごろの先進国の標準的な削減率目標として3%、そして日本自身には1.5%程度の目標を国際的にサウンドした時に、ある国から質問を受けたのである。それは、その削減は日本経済にどのような影響を与えるのか、というものである。

各国の風力発電導入量。日本では導入があまり伸びず、累積導入量の「順位」がずるずると後退している。(日本風力発電協会の資料)

 我が国の公式の答えはふるっていた。その削減では日本経済には変化がない、経済的に可能なことを積み上げたからである、というものであった。環境を守ることは二義的な要請であって、経済の目標ではない、という日本のマインドセットは鮮明である。

 米国のある著名な経営学者は、いろいろな要素を考慮して経営計画を立てる点では同じであっても、要素の考慮の順番によって計画の中身は全くことなるものになることを、論者の記憶では、治水の備えを主にして利水するダムと、逆に利水を主として治水も考えるダムとの違いを例にして述べていた。

 論者なりに言い足せば、日本の場合は、環境目標がなかった場合に想定される将来の経済の姿(BaU)を前提にして、そこから経済にダメージを与えずに、環境負荷をどれだけ減らせるかを考えるのである。しかし、実際は、いろいろな設備などが寿命を終えて退役していく毎に、その設備などをどのような性能のもので置き換えようかと考えるのである。

 場合によっては、寿命が残されていても、大胆な置き換えをするかもしれない。それが現実であるのに、そのことすら考慮もせずに、一方的に環境目標なかりせばといって将来を構想する。端的に言えば、日本では、経済の都合で経済の姿が変わるのはよいが、環境を良くするようにと経済の姿が変わるのは禁じ手にしているのである。

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