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五輪「盗用」騒ぎで思う「いい歌は似てくる」

心地よさを科学して寛容な著作権論を―下條信輔さん「出番ですよ」

尾関章 科学ジャーナリスト

 ニュースを読んで、息苦しい思いがした。朝日新聞報道が伝える2020年東京五輪のエンブレムをめぐる「盗用」騒ぎである。最初に似ているとされたのは、ベルギーの劇場のロゴマークで、2011年の作品。たしかにTの字にまんまるの円を組み合わせたところは共通する。エンブレムの制作者、佐野研二郎さんは「盗用との指摘はまったくの事実無根」としているが、劇場ロゴのデザイナー側は「盗作」との立場から使用停止を求め、地元裁判所に提訴した。

エンブレムのデザインの過程を説明する佐野研二郎氏=5日午前10時11分、東京都港区20150805エンブレムのデザインの過程を説明する佐野研二郎氏=2015年8月5日、東京都港区

 エンブレムの「似ている」問題は、これ一つで終わらなかった。二番目は、スペインのデザインスタジオが2011年の東日本大震災後、寄付金を集めるねらいで公表していた。もっとも、こちらには救いがある。朝日新聞の取材に対して、当のスタジオの担当者が「偶然の一致では」と言いつつ、「インスピレーションを与えたとしたら誇りに思う」と大人の対応をとったことだ。 

 さらに騒ぎは、思わぬところに飛び火した。サントリービールが景品として、佐野さんの事務所にデザインを頼んだトートバッグだ。30種類のうち8種類が既存の図柄と似ている、とネット上で指摘されたのだ。なかには「酷似」の域に達しているものもあったので、こちらは「偶然の一致」とは言いがたい。佐野さんも事務所のウェブサイトで、スタッフが作業の過程で「一部に関して第三者のデザインをトレースしていた」と認めた。

 ネット時代に入って著作権侵害には厳しい目が注がれるようになった。昔は、ある図案が遠くの国で使われている別の図案と似ていても、たいていは気づかれず、たとえ気づかれても独立の着想とみなされることが多かった。有名デザイナーの作品でもない限り、世界中に広まることはなかったからだ。ところが最近は、素人の手になるものも含めて、ありとあらゆる作品がネットに載る。コピペの誘惑もあるし、知らず知らずにインスピレーションを得ることもある。その一方で、似ている図案があるかどうかのネット検索も世界規模でだれにでもできるようになった。これからも「似ている」騒動は後を絶たないだろう。

 ここで私が思うのは、そうした問題が起こったとき、「似ている」だけで盗用と決めつける愚は避けたい、ということである。著作権保護は大事だが、そのことに突き進むあまり、創作活動のエネルギーの多くが「似ている」ものの排除作業に注がれるようになるのだとしたら、それは作品に接する私たちにとっても幸福なことではない。

 そんな思いにかられるのは、今回の騒ぎが起こる直前、朝日新聞に次のような記事を読んでいたからである。

 「環太平洋経済連携協定(TPP)交渉で、参加12カ国が著作権侵害に対する刑事手続きについて、著作権者の告訴がなくても捜査当局が起訴できる『非親告罪』に統一する方向で最終調整していることがわかった」(7月25日付朝刊)。日本では、著作物を断りなく使うと著作権法違反になるが、「親告罪のため、著作権者が黙認していたり、気づいていなかったりする二次利用などは摘発を免れていた」。ところが「非親告罪」になると、著作権者がどれほど寛容でも当局が摘発に乗り出す可能性が出てくる。

 TPP交渉がこの方向で決着すれば、「似ている」だけで当局が動きかねない時代がやってくるのである。だからこそ、摘発の行き過ぎを抑えるためにも、ここでは人の心に響く著作物は似通う必然性があるのではないか、と問題提起したい。私自身は、その十分な根拠を示せないので、科学者、とりわけ認知心理学の研究者にその見解を聴きたいと思う。

 私がふと思うのは、学生時代にFEN(極東放送網、現AFN)などで聴いていたアメリカのカントリー&ウェスタン(C&W)だ。一つひとつの曲について、ここでは吟味しないが、ヒット曲やスタンダードナンバーの多くは「3コード」を基本とするコード進行でできている。主音がCならば、C、F、G7の三つのコードだ。どれも、耳に残って思わず口ずさみたくなる旋律である。自分で歌詞をつくってギターを手に3コードにのせてメロディーをつけてみると、どれもこれも、なんとなく歌いやすい曲になった。

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