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人文社会にとどまらない日本の大学の病巣

自己改革する仕組みがない現状を大学自らが変えていくべきだ

高部英明 ドイツ・ヘルムホルツ研究機構上席研究員、大阪大学名誉教授

 大学では定年退職する教授が現役最後に「最終講義」をする慣習がある。私は早期退職であったが、その機会を8月5日(水)、90分頂いた。学生時代に始まり大学という特殊な世界にいた自分史を語った(講義資料は個人HPにあり)。過去を振り返っての一番の自負は「研究者進化論」を実践したことである。結果的に、ほぼ15年ごとに異なる課題に挑戦し、新分野を創出することもできた。

 私の研究者としての原点は1973年、唐突に石油危機が起こったことにある。大型レーザーを用いた核融合で石油に頼らないエネルギー供給を実現し、世界を救いたい。そんな単純な正義感と研究への興味が私を駆りたてた。

写真1:核融合実験の際の1秒にも満たない物理現象は、数億年かけて起こる星の誕生や爆発など宇宙の様々な現象を模擬できる可能性を秘めている。

 75年に大学院生として研究を始めると、社会から期待された「大義ある研究」に没入する自分に酔っていた。私が所属した研究センター自体が異様な熱気に包まれていた。社会が期待し、文部省が要求以上に大きな予算で支援し、大規模装置が1983年に完成した。12本の大規模レーザーを核反応燃料球に照射し写真1のように1mmサイズの星を作る。そこで、理論家として実験提案を行い、90年までには主な成果を出し尽くした。

 その間、小柴昌俊さんをノーベル賞に導いた超新星1987Aの爆発が観測され、知人から「核融合爆縮の知識を超新星爆発の物理解明に役立てないか」と声がかかった。おもしろそうな話題には首を突っ込むのが信条の私は、気持が動いた。同時に、大がかりにレーザー核融合を実施している米国などは核保有国であり、どうも研究目的が核融合を利用した核兵器(水爆)の性能維持管理であることが諸々の情報から明らかになってきて、気がかりだった。

 当初の成果を上げた後、どう研究を展開するか――「太陽のエネルギーを地上へ」と表現される核融合研究を逆転の発想で、「大型レーザーを利用し宇宙の神秘を実験室で研究する」ことができるかもしれない。そこで私は、超新星との連携で新しい研究分野を見いだし、「実験室宇宙物理学」と命名し、世界に提唱することができた。写真1の1mmの世界には宇宙の神秘が隠されている。これなら、核兵器研究と競合することなく、世界中の研究者と基礎科学を展開していくことができる。

 ところが、日本の科学者は核保有国のレーザー核融合の真の姿を見ようとせず、新しい展開にも興味を示さない。ただただ、次の大きい核融合装置が欲しいという。海外の研究者が私の提案を受け、実験を開始してくれたお陰で、私が道を拓いた新分野は世界中に広がった。

 核融合実現という具体的な目的を掲げ発足した目的研究の部局(研究センター)の研究方針の転換、構成員の意識改革は大変な困難を伴う。学部や研究所など大学内部局の自治権を尊重する大学ではほとんど不可能に近い。

図1:原油価格の年推移(エネルギー白書より)

 最初のきっかけとなった石油危機だが、石油価格はその後約40年、図1のように推移した。それに引きずられ、例えば米国の核融合予算は図2のように20年間は強く相関していたが、95年を過ぎると相互の関係がなくなっている。日本の場合、米国のように管轄省による正式な図は手には入らないが、ほぼ同じ年推移をしている。つまり、この目的研究の寿命はせいぜい20年だったと言えるのである。

図2:米国核融合エネルギー開発予算の年推移(米国エネルギー省提供)。膨大な予算投入を原油価格と相関させて行ったが、95年を境に頭打ちになる。当初、核融合エネルギーは30年で実現するという楽観論もあったが、高温のプラズマを閉じ込める物理学は乱流という難しい課題に直面し、世界プロジェクトITER(イーター)へと集約されていく。

 しかし、小回りの利く研究分野の特質や事情はさておき、こうした大型装置による研究に限って言及すれば、既に社会的な要請が薄れても、部局の中だけに脈々と研究目標は生き続ける。特に教授会が決定権を持つ組織では、改革が困難である。人生を賭して研究してきた核融合を時代遅れだと捨てることは教授たちの自己否定になるからであり、かつ部局・分野での権威失墜になると恐れる。

 そのような中で危機感を持つ研究者が部局の自己改革を提案しても、そこに立ちはだかるのは養老孟司の「バカの壁」。

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