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新競技場をカネのことだけで語るな

木を使えばいい?――新国立ゼロベース出直しにみる歴史観のなさ

尾関章 科学ジャーナリスト

 出直しとなった新国立競技場づくりをどのように進めるか。その基本方針ともいえる政府の新しい整備計画が8月末に出た。私は7月、奇抜なデザインを選んだ当初のコンペに触れて「建築は建築家だけのものではない」と当欄に書いた。新競技場をランドマークとして見ることになる人々の声が反映されていないと思ったからだ。だから、当初案がいったん白紙に戻されたことはよかった。だが新方針をみても、ランドマークを造るという感覚は依然希薄なように見える。

新国立競技場の整備計画に関する関係閣僚会議=8月28日、首相官邸、飯塚晋一撮影

 新方針では、工費膨張に怒る世論をなだめようとする政治家や官僚の思惑ばかりが目につく。その一方で、新しい競技場で新しい風景をどうつくるかという問題意識はあまり感じられない。残念なことに、カネのことに目を奪われ、風景に思いが及ばない傾向は一連の騒ぎを伝えるメディアにも見てとれる。

 今回の新整備計画は、関係閣僚会議がまとめた。基本理念として「アスリート第一」「世界最高のユニバーサルデザイン」「周辺環境等との調和や日本らしさ」の三つを挙げている。新競技場を建築家のデザイン至上主義から取り戻して、「使う人」と「見る人」のものにしようという方向性は感じられる。このことは率直に評価したい。

 では、どこに難があるかと言えば、「見る人」尊重の中身だ。三つの理念の最後に掲げられた「周辺環境等との調和や日本らしさ」に熟慮の跡が見えない。 

 「日本らしさ」を掲げること自体には、世論の大きな抵抗はないだろう。国立競技場が日本スポーツ界の拠点であり、そこから世界に向けて五輪・パラリンピックのドラマが発信されようとしているからだ。その一方で、それが平和を希求する祭典であることを理由に「日本らしさ」だけでなく「国際性」や「異文化の共存」「地球人の連帯」を強調すべきだと言う人も少なくないだろう。ところが基本理念では、この視点がすっぽり抜け落ちている。

 この理念の具体論は、新整備計画の別紙資料に「特に配慮すべき事項」として素描されている。「日本らしさ」の項に記されているのは「わが国の優れた伝統や文化を世界中に発信し、内外の人々に長く愛される場とするため、日本らしさに配慮した施設整備を行うとともに、木材の活用を図る」という一文だ。

 私が愕然とするのは、この「日本らしさ」像があまりに貧弱なことである。前段の「わが国の優れた伝統や文化を世界中に発信し……」というあたりは、いかにも役所の作文だ。ほとんどなにも言っていないに等しい。そして唐突に出てくる唯一の具体的要請が「木材の活用」。木をあしらいさえすれば「日本らしさ」を醸しだせると言うのだろうか。木造建築の伝統は、北欧、北米を挙げるまでもなく世界中にある。私たちの祖先は、日本列島の気候風土のなかで住まいの素材を豊かな山林に求め、大工の技を育てて日本ならでは建築を生みだしてきた。そこにある「日本らしさ」は、ただ木を使うことではない。建て方や住まい方までも含めた建築文化そのものに目を向けなければ意味がない。

 「景観」については、「特に配慮すべき事項」で「景観・地球環境」をひとくくりにまとめ、「明治神宮外苑地区の景観や環境と調和を図るとともに、スポーツクラスターの中核にふさわしい景観の形成を図る」「施設や地域の特性を考慮した環境負荷の抑制、自然エネルギーの活用等を図る」の2点を求めている。

 この「スポーツクラスターの中核にふさわしい景観」も安直に過ぎないか。競技場の設備については、基本理念にあるようにスポーツを第一に考えるのが正しい選択だろう。だが、外観に求められるものは「スポーツクラスターの中核にふさわしい」という形容に収まりきらない。ランドマークとなる新国立競技場にはもう少し重い役割があるように思う。

 私が外観の条件として挙げたいのは歴史観である。

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