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目を覆う責任回避の連鎖:文系大学見直し問題

役人の文章力の問題に帰着していいのか?

高橋真理子 ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネーター

 文部科学省が国立大学法人に人文社会科学系の組織見直しを迫った問題は、下村博文文科大臣が「非常に誤解を与える文章だった」と不備を認め、省を挙げて批判の火の粉を払う展開となっている。大学人の強い反発に、文科省側が下手に出た形だ。だが、一連の騒動を振り返ると、あっちでもこっちでも責任回避ばかりに汲々としている姿が目につく。大丈夫か? 日本の大学。

 発端は6月8日の文科大臣通知だった。6年ごとに中期計画を国に提出しなければいけない国立大学法人に対し、次の中期計画をつくるときの注意事項という位置づけで出したものだ。その中に「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学等としての役割を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むように努めることとする」という文章があった。

7月31日に日本学術会議講堂で開かれた公会シンポジウム「人文・社会科学と大学のゆくえ」

 これを文系つぶしと受け止めた大学人たちが強く反発。日本学術会議は7月23日に「幹事会声明」として、「人文・社会科学のみをことさらに取り出して、廃止や転換を求めることは大きな疑問がある」と抗議した。7月31日には公開シンポジウム「人文・社会科学と大学のゆくえ」を開催。そこでは国際社会科学評議会会長のアルベルト・マルティネッリ・ミラノ大学名誉教授から日本学術会議に届いた「人文・社会科学の重要性を強調し、日本における人文・社会科学の将来について深い憂慮を示す内容の、幹事会声明に強く賛同いたします」という手紙の仮訳が配布された。

 人文・社会科学を軽視する文科省 vs. 重視する学術会議、という構図である。大学の教育体制の問題を、学問分野の価値の問題にすり替えた感は否めない。

 教育体制の問題としては、「社会的要請の高い分野」とは何かを大学自身が考える必要があるのだと思う。だが、通知が出た直後は、単純に理系分野もしくは実学教育と受け止めた議論が展開された。

 文科省は「人文社会科学を軽んじているのではなく、すぐに役立つ実学のみを重視しているのでもない」と説明したが、そんな程度の説明ではこぶしを挙げた大学人が納得できないのも、これまた当然だろう。自分の職場がなくなる可能性が、予算を握る文科省からの通知として明文化されているのだから。そこへ、

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