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原子力研究体制の矛盾が噴き出た「もんじゅ」

厳しい勧告を生かすため、独立した第三者機関の設置を

鈴木達治郎 長崎大学 核兵器廃絶研究センター(RECNA)副センター長・教授

 高速増殖炉原型炉「もんじゅ」が激震に見舞われている。2015年11月13日、原子力規制委員会は所管する文部科学省に対し、「もんじゅ」開発の担い手である日本原子力研究開発機構(JAEA)を「研究開発を行う主体として必要な資質を有していない」とし、「機構に代わってもんじゅの出力運転を安全に行う能力を有すると認められるものを具体的に特定する」か、それが困難な場合は「もんじゅという発電用原子炉施設の在り方を根本的に見直すこと」との勧告を発表した。その後、代替運転主体の候補とも考えられる電力会社を代表する電気事業連合会から「もんじゅ運転の引き受けは困難」との声明が発表され、文科省は事実上廃炉も視野に入れた検討を余儀なくされる状況となった。

「もんじゅ反対集会」で廃炉を求めてシュプレヒコールを上げる参加者たち=2015年12月5日、福井市春山、 大野正智撮影

 これが注目されるのは、「もんじゅ」のみならず、高速増殖炉さらには商業用の核燃料サイクルの将来にも大きな影響を与えると考えられているからだろう。事実、筆者が参加した「もんじゅ反対集会」においても、「もんじゅ廃炉、核燃サイクル反対」が掲げられ、長年の願いがいよいよ実現するのではないか、と全国から集まった人々で熱い雰囲気であった。確かに、もんじゅは推進・反対両方から核燃サイクルの象徴として扱われてきたことも事実である。

 しかし、「もんじゅ」の行方そのものと、高速増殖炉サイクル(注:高速増殖炉は核燃料サイクルが確立することが不可欠であり、原子炉だけを取り上げること自体意味がない。したがってここでは「高速増殖炉サイクル」と記述する)の是非が一体で議論されること自体、研究開発としての本質的な課題を見誤る可能性がある。

 今回は、商業規模の核燃料サイクルの是非(筆者の見解は現時点で必要ない、という見方ではあるが)に関わらず、高速増殖炉サイクルを含む原子力研究開発全体を見直す絶好の機会、という視点で論考してみたい。

 そもそも、「もんじゅ」は1967年、高速増殖炉サイクルの80年代実用化をめざして開発が決定された原型炉である。わずか20年で実用化をめざすという開発スケジュールは「研究開発」というより「事業化」プロジェクトといったほうが正確であり、そのために動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が国家プロジェクトとして設置されたのである。この時点で、動燃の性格は「幅広い選択肢を探索して研究開発を行う」組織ではなく「実用化計画を遵守して、早期に事業としての見通しを確立すること」が使命とされた。ところが、その後実用化時期は遅れ、1995年の運転開始時には、すでに実用化時期がかなり先になる(2020年以降)とされていた。

 原型炉の次に造られる実証炉の計画も遅れており、運転開始直後のナトリウム漏れ事故を契機に設置された「高速増殖炉懇談会」(座長:西澤潤一)において、「将来の選択肢の一つ」という位置づけがなされた。それと同時に、「動燃改革委員会」(座長:吉川弘之)が設置され、その提言「動燃改革の基本的方向」に基づき、主に計画に縛られた「事業化」を進める組織から、自律的に「研究開発」を行うことを主な使命とした組織に生まれ変わることとなった。これが「核燃料サイクル開発機構」(注)の誕生につながる。

 問題は、

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