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COP21で幕を開けた新しい時代を楽しもう

京都議定書からパリ協定までとこれから

石井徹 朝日新聞編集委員(環境、エネルギー)

 「時代なんか、パッと変わる」

 昨年末の国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)。議長のファビウス仏外相が「パリ協定」の採択を知らせるガベル(木づち)を振り下ろすのを見て、かつてサントリーウイスキーの広告にあった名コピーを思い出していた。コピーライターの巨匠、秋山晶氏の1984年の作品だ。

 「21世紀に間に合いました」

地球温暖化防止京都会議(COP3)で大木浩議長(中央左)と=1997年12月、京都市 地球温暖化防止京都会議(COP3)で大木浩議長(中央左)と=1997年12月、京都市

 1997年12月に京都で開かれたCOP3の取材を担当した。世界初の量産ハイブリッド車、トヨタの「プリウス」は、京都会議に合わせて売り出された。その時のCMのコピーだ。発売の翌日、京都議定書が採択される木づちの音を聞いて、「世界は変わるかもしれない」と期待した。京都議定書は、世界が温暖化の科学の声を聞き入れ、先進国が率先して欲望を抑える「痛みを分かち合う」制度と受け止められた。「倫理」のために、人類は欲望を抑えられるのではないかと思ったのだ。

 だが、米国は参加せず、1期目の途中でカナダが抜け、2期からは日本やロシア、ニュージーランドも抜けた。世界最大の排出国となった中国や3位になったインドは、途上国扱いなので、もともと温室効果ガスの削減義務がなかった。経済成長は「善」であり、そのために二酸化炭素(CO₂)の排出量が増えるのは当然と思われてきたからだ。「科学」や「倫理」で世界を変えることの難しさを思い知らされた。いまから思えば、私も随分とナイーブだった。

 

日本で2009年に発売された電気自動車が、COP21では送迎に使われた日本で2009年に発売された電気自動車が、COP21では送迎に使われた
2009年の暮れ、デンマークのコペンハーゲンでCOP15が開かれた。すべての国の参加する新たな枠組みの構築が期待された。会議の終盤には、米国のオバマ大統領やドイツのメルケル首相ら世界の首脳が乗り込んで、直接協議したが、合意には至らなかった。新たな枠組みが経済成長の足かせになるのを恐れた、中国などの途上国による反対が、最大の要因だった。

 京都会議からパリ協定まで18年。この間に温暖化の脅威は現実的なものとなった。大気中のCO₂濃度は増え続け、400ppmを超えた。産業革命からの気温上昇も約1度になった。洪水や干ばつなどの異常気象が頻発し、多くの人が海岸浸食で国土を失い、移住を余儀なくされている。気象災害で亡くなる人や気象関連の保険支払額も増え続けている。パリ協定で合意した気温上昇を1.5度や、2度未満に収めようという目標も、18年前ならもっと難しくなく実現できたのではないかと思う。

 だが、悲観することばかりではない。

 「我々がビジネスに合図を送れば、数千億㌦が世界に展開される」

 COP21の序盤の首脳会議に乗り込んだオバマ大統領は、こう呼びかけた。「我々が正しいルールやインセンティブをつくれば、最高の科学者や技術者、起業家の創造的な力を解放し、彼らが作り出すクリーンエネルギー技術や新しい雇用、機会が世界中に展開される。さあ合図を送ろう」

 パリ協定が採択された12月12日には、米ホワイトハウスはただちに「合意は、ここ数年のエネルギー関連の投資を相当拡大することになるだろう」との声明を発表した。

 COP21のビジネス界のブースでは、その日、深夜まで喜びの乾杯が繰り返された。欧米の経済界からは歓迎のツイートが相次いだ。会議場では、島国や最貧国はもちろん、中国やインド、COP15では抵抗勢力だった中南米のグループからも、歓迎の声明が相次いだ。妥協の産物である国際合意が、これだけ多くの人たちから歓迎されるのは珍しい。世界が合意を待ち望んでいたことがよく分かる。

風力発電と原発の発電能力の推移風力発電と原発の発電能力の推移
 京都会議以降、プリウスは世界で累計800万台以上を売り、世界一のトヨタを支える屋台骨になった。風力発電の設備容量は18年前の50倍になり昨年、原発を抜いた。太陽光発電も原発の設備容量の半分になった。爆発的な普及に伴ってコストは急激に下がり、1㌔ワット時あたりの発電コストは10円を切るほどになっている。途上国でも火力を下回るようになり、もはや温暖化防止のためではなく、安い電気を得るために自然エネルギーに投資するのは常識となりつつある。

 世界はとっくに変わっていたのだ。

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