「自滅」へ向かう遠因は、日本の大学の「出生の秘密」にあり
2017年01月19日
日本の大学は当事者意識が薄い-WEBRONZAで「『忙しさ』に自滅する日本の大学」(古井貞熙氏)や「日本の大学教員・研究者は『忙しい』のがお好き?」(佐藤匠徳氏)を読むと、こう感じずにいられない。これは、国立大学が法人化されたときに持ったのと同じ感想である。当時、私は朝日新聞論説委員として議論の成り行きを取材し、国立大学協会が当事者としてほとんど機能しないことに驚いた。科学革命の圏外に置かれていた日本が、明治政府の設立した帝国大学を舞台に猛然と近代科学を取り込み、ここまでよくやってきたと評価はできると思う。だが、その設立の経緯が、当事者意識の薄い大学を作ってしまった。日本の大学を「自滅」から救うには、大学関係者の発想の基礎基本を変えることこそ必要なのではないか?
国立大学の法人化は、71年に「国立大学に自主・自立性を持たせるため公共的な性格を持つ新しい形態への法人への移行」を中央教育審議会が提案したことに端を発する。しかし、その後に検討は進まず、たなざらし状態に。それを再び表に引っ張り出したのは橋下龍太郎内閣が進めた行政改革だった。中央省庁のスリム化が主張され、政府の仕事の一部は独立行政法人という新たな組織を作ってそちらに移す方針が出された。この流れの中で、国立大学も国の組織である必要はなかろうという議論になったのである。
99年には
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