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「准高齢者」が思う人生のワークライフバランス

専門家の提言は意義深いが、それをゆったり志向否定に短絡させるな

尾関章 科学ジャーナリスト

 年が明けてまもなく、新聞1面トップの見出しに心が騒いだ。まだ若いですよと言われたのだから、めでたいのか。「准」のひと文字をつけられたところをみると、降格なのか。日本老年学会と日本老年医学会が「高齢者は75歳以上」「65~74歳は准高齢者」と提言したことを伝える記事である(朝日新聞2017年1月6日付)。私は今、65歳。現行の定義では、去年の誕生日をもって高齢者の仲間入りをしている。ところが今度はいきなり、「10年早いよ」と言われたわけである。

 これに戸惑いを感じたのは、私だけではなかったらしい。ネットでデイリー・スポーツ紙電子版を見ていたら、「ジュリーが吠えた!」という記事に出会った(2017年1月9日付)。その報道によると、団塊世代の人気歌手沢田研二さんが新春ライブで「ほっといてぇな!! 老人と思ってるのに、急に老人じゃないと言われた」と発言したという。「若い人が何とか年寄りをボランティアで使おうという、魂胆が見え見え」とも言い添えたようだ。わかる、その気持ち。米国では同世代の女優メリル・ストリープがトランプ次期大統領にもの申すスピーチをして大喝采を浴びたが、それに引けをとらない批判精神である。

脳卒中などで治療を受ける割合と高齢者に対する意識の変化脳卒中などで治療を受ける割合と高齢者に対する意識の変化
 はじめにことわっておくと、私は2学会の提言そのものを非難するつもりは毛頭ない。それどころか、専門家の集団が最新の科学データや職業人の現場感覚を踏まえて、世間の認識に修正を迫るのはよいことだと思う。それが高齢者の定義についてなら、なおさらだ。個々人の生き方から社会の制度設計にまで幅広くかかわる問題なので、時代遅れの決めごとは改めなくてはならない。

 ただ私が恐れるのは、この提言が目先の政策決定にいいように利用されないか、ということだ。「年寄りをボランティアで使おう」という政策立案まではないだろう。だが、高年齢世代にも長く働いてもらおうという政策は現に進行中だ。その提唱者にとっては、今回の定義見直し論が強力な応援団になることは間違いない。

 もちろん、年をとっても勤労意欲が衰えない人が多いのは事実だ。死ぬまで働きたいという人はいっぱいいる。いやそれよりも大勢いそうなのは、とくに働きたいわけではないが生活のために稼がなくてはならないという人たちだ。いずれにしても高年齢世代に求職志向があるのは確かだから、それに応える雇用促進策は進めなくてはならない。

東京都健康長寿医療センターで運動に取り組む高齢者ら。元気で長生きのカギは筋力だ東京都健康長寿医療センターで運動に取り組む高齢者ら。元気で長生きのカギは筋力だ
 問題は、その政策が人々の人生観、幸福観に枠をはめるものではあってはならないということである。高年齢世代の中には、過去の会社員人生をきれいさっぱり忘れ、年金や貯金頼みのつつましさに甘んじながら遊民生活を送りたいという人もいるはずだ。稼がざるを得ないという人であっても、青壮年期ほどにはガムシャラでなく働きたい、という気持ちが強いだろう。そういうゆったり志向の人々にとっては「年寄り」「高齢者」という言葉は大変にありがたい。逆に「准高齢者」と言われると負い目を感じてしまう。

 最近盛んに言われだした新語に、ワークライフバランスがある。霞が関での旗振り役は内閣府で、「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」という文書を公式サイトに載せている。憲章は担当部局が男女共同参画局ということもあって、勤め人が家庭や地域にいる時間をふやす、そのことで子育ての労なども男女が分かちあう――というあたりに力点が置かれている。ただ真にワークとライフの調和をめざすのなら、人生の時間軸すべてを視野に入れた議論もすべきだろう。憲章も「人生の各段階に応じて多様な働き方の選択を可能にする」とまでは言っている。だったら、青壮年期は今よりライフを重んじるにしてもワークに偏りがちになりそうだからその時期を過ぎてからはライフに重心を移そう、というのが賢明なバランスのとり方だと思う。

 ところが、現政権の政策からは、そうした発想が感じとれない。

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