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中国の科学技術は脅威か

世界最大の科学技術機関「中国科学院」の分析から見えた課題

林幸秀 科学技術振興機構「研究開発戦略センター」上席フェロー

1万人の少数民族らを移住させて造られた電波望遠鏡FAST(中国科学院のホームページから)
 急成長する中国。国内総生産(GDP)ではすでに2010年に日本を抜き去り、米国に次ぐ世界2位の規模にある。大勢の観光客が日本を訪れ、旺盛な購買力が日本経済を下支えしているほどだ。
 では科学技術はどうか。論文数や研究費が急増し、脅威論も唱えられている。中心となる中国科学院は、科学技術機関として世界最大の規模を誇るが、内情はあまり知られていない。このほど著書『中国科学院』を刊行した科学技術振興機構(JST)の林幸秀・研究開発戦略センター上席フェローに話を聞いた。(聞き手・伊藤隆太郎)

急増する研究費。OECD購買力平価で換算=文部科学省「科学技術要覧」から

――中国に大変な勢いがあります。

 まず注目すべきは「人と金」だ。研究者数と研究費の伸びは驚異的である。文部科学省の「科学技術要覧」によれば、中国の研究者数は米国や日本、欧州の各国を抜き去って、世界一になった。研究費もこの10年間で日本を抜き去って2倍近くになり、トップの米国に迫る勢いだ。

――論文数も急増しています。

 日本の科学技術・学術政策研究所がまとめた「科学研究のベンチマーキング 2017」のデータでは、主要科学誌に掲載された論文数は年間28万本にのぼり、日本の7万5千本を大きく引き離している。

トップ1%論文のシェア(%)と順位=「科学研究のベンチマーキング 2017」から
 さらに重要なのは、「トップ1%論文」のシェアだ。被引用数が多くて注目度の高い上位1%の高品質な論文を抽出して、国別で数を比べたところ、1990年代半ばでは、中国のシェアはわずか0.7%だった。日本の5.7%と比べても、大きな差があった。ところが最近は20%を超え、米国に次ぐ世界2位になっている。驚くべき成長スピードだ。

――こうした中国の勢いを、どう見るべきでしょうか。

 識者によって見方は分かれている。「日本や欧州を抜き去り、アメリカに迫っている」とする脅威論もあれば、「まだ大したことはない」という楽観論もある。私は「実情を冷静に見分けるべきだ」と考える。甘く見てはダメだが、むやみに恐れる必要もない。
 中国は大きな潜在力を持つ一方で、抱えている難題も大きい。大変な勢いで伸び、高いポテンシャルがあるように見えるが、未熟なのだ。科学的な知見を蓄えつつあるものの、それを活用して新たなイノベーションに結びつけるには至らない。欧米の製品やサービスをまねすることは得意だが、市場に存在しない商品をゼロから生み出す力はないのだ。本当のイノベーションが中国から生まれるのは、まだ先だろう。

――しかし「トップ1%論文」の急増などは、脅威に映ります。

 確かに論文は急激に増加しているし、被引用数も増えている。そのスピードには注意すべきだが、同時に中身を冷静に見分ける必要がある。
 一般に「論文の被引用数」は、その論文がどれだけ優秀であるかの指標とされる。ほかの論文のなかで数多く引用されるということは、それだけ論文が優れていることの目安になる。しかし中国の場合、これが必ずしも当てはまらない。論文を書いたり引用したりすることが、過度に自己目的化しているからだ。中国人どうしで意識的に引用しあうことで互いに評価を支え合っているし、そもそも発表される論文数が多いから被引用数も自然と増える。
 一つひとつの研究分野を丁寧に見ていく必要がある。私たち研究開発戦略センター(CRDS)では、日本の多くのトップ研究者にヒアリングして中国の実情を分析しているが、そこでは過剰な脅威論は出てこない。 

――なぜ、そのような歪みが生じるのでしょうか。

 中国ではあまりにも人数が多いため、研究者の処遇においても「数字」が極めて優先されている。非常に厳しい信賞必罰の社会で、論文を書けない研究者は容赦なく失職していく。「とにかく論文を書ける分野で研究をする」という安全志向が見られる。
 これは最高峰の北京大学も例外でない。教授は完全なテニュア(終身雇用)ではなく、論文を書けなければ居づらくなり、結果として失職に追い込まれるので、手堅く確実に数を稼げるような研究が優先されがちだ。中身をきちんと見れば、まだ見劣りすることが分かる。

――中国共産党の独裁体制は今後、成長の足かせになりますか。

林幸秀著『中国科学院』

 これまでの中国の強みは、二つあった。「安価な労働力」と「巨大な市場」だ。とりわけ10年前までは、労働賃金の安さは圧倒的だった。いまではかなり東南アジアやインドに優位性を奪われたが、消費者の多さはまだ強大だ。中国は自分自身が巨大の消費地であり、成長の原動力になっている。だが、この二つを強みを生かして自分自身でオリジナルの製品やサービスを生み出す努力はできなかった。中国の限界だ。
 この限界を突き破ってイノベーションを生み出せるようになれるのか。

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