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ベトナムの原発輸出はこうして白紙撤回された

ベトナムの詩人インラサラさんと少数民族の命がけの闘い

桜井国俊 沖縄大学名誉教授、沖縄環境ネットワーク世話人

 沖縄では、夏至(6月22日)や慰霊の日(6月23日)を過ぎても一向に雨が上がる気配がなかった。例年にはないことだ。久米島、大東島、粟国島などから、次々と記録的豪雨の報が届く。明らかに気候がおかしくなっている。

キャンプ・シュワブのゲート前のテントでベトナムの原発阻止の闘いについて語るインラサラさんキャンプ・シュワブのゲート前のテントでベトナムの原発阻止の闘いについて語るインラサラさん
 6月20日も沖縄地方は終日豪雨であった。その豪雨の中、ベトナムの詩人インラサラさんを案内して普天間基地を見下ろす嘉数高台、嘉手納基地を一望できる道の駅かでな、そして辺野古新基地の工事の状況を一望できる豊原の丘を訪れた。いずれも雨にかすんでいた。インラサラさんにとってこれは初の訪日、そして初の訪沖であった。

 辺野古では、キャンプ・シュワブのゲート前で座り込みをしている人たちと交流し、夕方には那覇の沖縄大学で講演を行った。

日本の原発輸出を阻止する

 ベトナム政府は2016年11月、日本(第2原発)とロシア(第1原発)による原発建設計画を中止した。中止の原因は、3.11の福島原発事故後の建設費急騰に財政難で対応できなくなったためと言われているが、内外の様々な言論活動も影響したと思われる。

ベトナム原発建設計画地(「原発をとめるアジアの人びと―ノーニュークス・アジア」より)
ベトナム原発建設計画地(「原発をとめるアジアの人びと―ノーニュークス・アジア」より)
 建設が予定されていたニントゥアン省は相対的に貧しい地域で、先住民族チャム人が多く暮らしているところである。在日米軍基地が沖縄に集中するように、ニントゥアン省には火力発電所、製鉄所などの迷惑施設の立地が集中している。沖縄、福島に対すると同様に、ニントゥアン省のチャム人に対しては構造的差別がある。

 ニントゥアン省は2世紀から17世紀にかけて東南アジアを代表する海洋貿易を展開した、先住民族チャム人が築いた「チャンパ王国」の最後の中心地があった地域で、チャンパ王国と琉球王国には交流の歴史があり、15世紀には琉球からラキウ王女がこし入れしたとも伝えられている。王国は、北方から侵攻してきたキン人(現在のベトナムの多数民族)と戦って敗れ滅亡した。

 ベトナムは日本とは体制の異なる国であり、通常、政府の政策に反対する意見を発表すると、公安から圧力がかかったり、逮捕・監禁されたりすることもある。そうしたベトナムで、原発建設計画が浮上した直後からチャム人の先頭に立って反対を唱えてきたのが、ホーチミン市(かつてのサイゴン市)在住のチャム詩人のインラサラさんである。

 同氏は、2012年4月に小説「チェルノフニット(チェルノブイリとフクシマとニントゥアンの意味)」を執筆したが、どの出版社からも出せなかった。

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