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あえてこのタイミングで、「東北復興」五輪を憂う

膨れ上がる経費、環境破壊、競技の不公平性、ナショナリズム……曲がり角の祭典

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 オリンピック・パラリンピックが来夏に迫り、気分も盛り上がりつつある。だからこそこのタイミングで、あえて疑問を提起しておきたい。

 今回の五輪招致で安倍首相は、福島第一の事故後について「コントロールできている」「汚染は0.3平方km以内にブロック」「過去も現在も未来も、絶対に安全」などと胸を張った。筆者は二重の意味で奇異に感じた。

完成が近づく新国立競技場=10月10日、朝日新聞社ヘリから、諫山卓弥撮影
 まず第一に、端的に事実でない(本欄『汚染水問題で考えるべきこと』『「情動の力学」から見る安倍首相の五輪誘致演説』)。この発言があった(事故から2年半の)時点で、毎日400トンの汚染水を貯えざるを得ず、約1年後の水質検査では、基準値の何十万倍の汚染が検出された(全ベータ放射能測定)。事故後6年経った現在、汚染水貯蔵は限界に達し、海に大量放出する他ないが、国際的に懸念も表明されている。

 汚染レベルは(世界の原発の実情と比べて)高くないとか、健康に影響はない、とする議論は一理ある。だがならば何故、最初から巨額の金を使ってタンク貯蔵などせず、海に流せなかったのか。先の安倍発言は少なくとも積極的な隠蔽だ。単純に、なぜ五輪誘致の場でこんな嘘をつく必要があるのかと思ったのは、筆者だけではないはずだ。

 さてこの首相発言を奇異に思った理由は、もうひとつある。それは福島の事故がオリンピックとあまりにも無関係なので、唐突だと感じられたことだ。だが後で述べるように、まさに「強引に結びつける」点にこそ、狙いがあった。

時代遅れの土木資本主義と、イベント利権の構造

 五輪誘致の最大のメリットは経済効果だ。五輪を錦の御旗に開発・整備を強引に進め、内需の刺激・景気の高揚を図る。このモデルは1964年東京では一応成功を収め、大阪万博(1970年)、札幌冬季五輪(1972年)に踏襲された。しかし先進国間で2回目の五輪を廻すようになってからは「もはやペイしない」。今回も経費総額は膨れ上がって3兆円を超えると言われる。

 その上2020東京は、誘致がダーティだった。国内ではJOC竹田恒和会長の退任でうやむやにされたが、フランスでは電通の提携企業に贈賄の容疑が及ぶなど、国際的にはほぼクロの扱いだ。

9月15日に開催されたMGCでスタートする設楽悠太、大迫傑ら男子の選手たち=高橋雄大撮影
 環境破壊の問題もある。もともと五輪誘致は、土木資本主義と利権誘導の構造だ。「環境に優しい」なんて、アリバイ以外にはありえない。国立競技場は木で造るそうだが、膨大な木材はどこで伐採したのか。文教地区・風致地区・公園緑地などの法的規制を「特例」として捻じ曲げているが、明治公園・神宮あたりの森は後々どうなるのか。

 経済的に冒険できず、過去の成功例にすがる。日本人特有のメンタリティだ。景気低迷の予感に焦って、60−70年代の成功神話に今頃しがみついている。性懲りもなく2回目の大阪万博まで誘致したが(2025年)、肝心の経済面ですら、長期には負の効果が疑われる。

オリ・パラは不公平で「体に悪い」

 また先進国優位・競技の不公平性などオリにもともと内在した問題が、パラでいっそう鮮明になった。しかも今後はむしろパラが主体になる。「政治正義」の御旗があるので、パラは安心して応援しやすい一面もある(本欄『パラリンピックにみる未来身体』)。だが今感じるのは、パラが無条件でもてはやされることへの薄気味悪さだ。 「薄気味悪さ」の中身はいろいろある。

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