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顔認識の香港〜近未来からの報告

匿名性の崩壊が導く、新しい「なりすまし社会」

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

「顔は自分に属するといふよりも半ば以上他人に属してをり、他人の目の判断によつて、自と他と区別する大切な表徴なのである」
(安部公房の小説『他人の顔』を論じた三島由紀夫の評論『現代文学の三方向』の一節)

 これからお届けするのは、SFのようなお話である。しかし私が専門とする知覚心理学、脳神経科学の見地から、十分な科学的根拠を持ったお話だ。まずは2019年の香港の風景からお届けしよう——。

<Hong Kong 2019-’20 慢性化する抗議デモと、マスク>

 民主化を求める香港の抗議行動は、2019年末現在、ますます深刻化・過激化しつつある。ただ区議会選挙で民主派が圧勝して盛り上がった後は、むしろ「慢性化」というのが的確だろう。黒ずくめの上下、マスクにサングラスというのが、参加する若者たちの定番グッズとなった。一部が火炎瓶を持ち出すなど過激化したことに伴い、政府・警察当局(親中国側)の規制も強硬になった。

覆面禁止法に反対する香港のデモ隊=2019年10月4日、竹花徹朗撮影
 そんな中、中国はデモ参加者のマスク着用を禁じる「覆面禁止規則」を強要。これが香港基本法に違反するとした判決を機に、法的にも右往左往している。ただ10月にはこの条例違反で初めて、デモ参加者2人が逮捕され起訴された。裁判所の外には、緊急条例に抗議する人たちがマスクなどで顔を覆って押し寄せた(AFP BBニュース、10月7日)。

 当局側の狙いはもちろん、監視カメラなどからの顔認識で、過激派を個別に同定し拘束することだ。もともと香港の民主化運動の大きな特徴は、リーダーがいない点にある。様々な立場の政治集会が開かれるが、特に反政府側の集会はSNSなどを通じ、自然発生的に拡大した。規制側から見ればいっそう、活動家の個人識別が重要となるわけだ。

<Japan ’25 顔認識とプライバシー>

 ’00〜’10年代、日本を含む先進国では、監視カメラそのものが「プライバシーの侵害」として問題視された。公共の場所への設置や、本人無許可での顔認識が、社会問題になっていた(はずだった)。

 2019年になってもまだいくぶんか火種は残っていて、たとえばタクシーの乗客の顔認証を無許可ですることが、問題になっている(朝日新聞デジタル、10月30日)。だがそれからわずか数年経った現在、「プライバシーの侵害」なんて誰も覚えていない。それほどにあまねく普及し、文句を言ったら暮らせない状況となった。

成田空港の顔認証ゲートで出国手続きをする外国人旅行者=2019年8月27日、福田祥史撮影
 消費行動のデータ化や、個々の消費者に合わせた広告のカスタマイズだけではなく、セキュリティ面からの行動監視もピークに達した。中国が先んじたが、プライバシーの敷居が高いと見られた西側諸国も、高い技術力であっさり追随した。

 そもそも生体認証の中でも、顔認証には、指紋や虹彩認証と根本的に違う点がある。それは本人の了承が要らない点だ。本人の気づきなしに、個人が同定されてしまう。そこで(今になって振り返れば)質の違うふたつの問題が提起されていた。第一に、個人のプライバシーとセキュリティのせめぎ合いという政治的な問題、より根本的には、そもそも個人のアイデンティティって何なのか、という哲学的な問題。そして二つ目、個人を同定しようとする監視側と、それから逃れようとする側との「技術のイタチごっこ」。これはちょうど、警察と偽札造りの関係に似ている。鑑識の技術と偽装の技術を、互いに高め合っている。

<China (Hong Kong) ’29 匿名性、意図の認識>

 監視される香港でより根本的に問題なのは、民主主義の前提にある表現の自由、集会の自由だ。そしてそれらの権利と「匿名性」の関係だ。

 あまり指摘されないが、「(指導者なしの)無名の多数」の存在が、民主主義を下から支えてきた。その無名性が削られた。ピンと来ないかも知れないが、たとえば選挙の投票自体、匿名が前提だ。なぜか。むろん権力の監視や圧力から自由に、候補者や政党を選択するためだ。ならば当然集会など意見発信の場でも、匿名性が担保されるべきだった。しかし集会が自然発生的になるとますます、参加者の中から暴力的・反権力的な分子を識別するニーズが高まった。

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