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江戸期の経済思想家本多利明に学ぶ「童心」

日本と科学、母語と思考をめぐる思索

白川英樹 化学者

江戸後期に数学や天文学を教えた本多利明の「童心」

 江戸後期の経済思想家本多利明は、越後に生まれ若くして江戸に出て、関孝和の高弟今井兼庭に和算、千葉歳胤に天文学、山県大弐に剣を学び、24歳にして江戸音羽(現在の文京区音羽1・2丁目)で音羽塾を開き、数学や天文学、地理学、測量技術を教えた。北辺の蝦夷地への関心が高く、徳のある人柄と学識の高さから「北夷(ほくい)先生」、「音羽先生」と人々から呼び親しまれていた。

北海道根室市にある金比羅神社の高田屋嘉兵衛像=2017年5月、豊間根功智撮影

 司馬遼太郎は長編歴史小説「菜の花の沖」で、淡路島の水呑百姓の家に生まれ貧しい悲惨な境遇から海の男として身を起こし、ついには海産物の宝庫である北辺の蝦夷・千島で活躍する偉大な商人となった高田屋嘉兵衛と、蝦夷地で松前奉行吟味役の任にあった高橋三平(本名重賢)と交わすやりとりの中で本多利明を登場させて、子供がもっている生まれつきの豊かな好奇心、童心を語らせている。その場面のあらましは次のようである。

 「嘉兵衛さん、あなたは大人か子供か」と、ある夕、唐突に聞かれる。「丑どしでございます」と答えると、高橋は笑って、「それは嘉兵衛さん、答えになっていないよ」。「おそれ入ります。当年とって二十八歳に相成ります」、「それも、答えになっていない」。困り切った嘉兵衛はやむなく、「大人でございます」。「たしかに齢は大人だ。しかし、多量に子供の部分を持っているな」、「礼があるから大人だ」と高橋は言い、続けて「しかし大人というものは仕様もないもので、子供がもっている疑間を持たなくなる。天地人のさまざまな現象について、なぜそうであるのかという疑間を忘れたところから大人が出来あがっている。北夷先生(本多利明)が、高い童心を持て、とつねにおおせられるのはそのことだ。嘉兵衛さんを見ていると、北夷先生が船頭になられた姿のように思われるな」。
 「なんと過褒な」嘉兵衛が鼻の頭に汗をかいて手を振ると、高橋は微笑をおさめて、「一生、そういう童心のままいてくれ」といった。

 「この時代、士農工商とも、十三、四歳で元服というものがあって童心を去る。大人になるとか、大人であるということに大きな価値を持たされているのが江戸期の倫理事情であった」と司馬遼太郎は書き加えているが、童心と大人との相反関係は、士農工商も元服もない現代にも当てはまるだろう。

子供を育てるとは、童心を育み維持させること

徳島県阿南市で開いた特別実験教室で子どもたちの実験を見守る筆者=2020年2月2日、阿南市科学センター、高橋豪撮影
 どんなことにでも興味を示す能力を本多利明の言う童心と置き換えてもよい。天地人の様々な現象について、なぜそうであるかという疑間をもつということは、天地という自然に関係する自然科学ばかりではなく、人、つまり、ひとや社会にも興味と疑問を抱くということであり、それができるのが童心であるといえるのではないだろうか。

 子供を育てることの大部分が

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