メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

被爆75年:深まる日本の「核のジレンマ」

六ケ所「再処理工場」の余剰プルトニウムが拡散させる安全保障問題

鈴木達治郎 長崎大学 核兵器廃絶研究センター(RECNA)副センター長・教授

 今年も、8月6日、9日が訪れた。75年前、米国が広島・長崎に落とした原爆は、推定約20万人余の人命を奪い、すべてを焼き払い、そして強力な放射線を残した。そして今もなお、その放射線障害に苦しむ被爆者の方々が、世界平和と核兵器廃絶のために、献身的な努力を続けておられる。

 日本政府は、そういった「被爆の実相」を世界に発信し、核兵器のない世界にむけて「リーダーシップをとる責務を有する」と自ら述べているが、一方で米国の「核の傘」への依存度を増しており、核兵器禁止条約にも背を向けている。さらに原子力平和利用を進める中で、皮肉にも長崎原爆の材料であるプルトニウムを大量に抱え込む状況となっている。この「核のジレンマ」をいつまで日本は続けるのだろうか。被爆75年を迎えた今、改めて日本の抱える核のジレンマについて考える。

「核のボタン」に運命を委ねる

 2020年8月1日に、長崎で開催された国際平和シンポジウム(朝日新聞、長崎市などが主催)において、ウィリアム・ペリー元国防長官は、核兵器システムの信頼性も100%ではないとして、自らも夜中にソ連からミサイルが200発飛んできている、との誤報に脅かされたと述べ、その体験に基づき、「コンピューターの誤作動や人的ミスは今後もありうる。文明の存続を、幸運に委ね続けるべきではない」と主張された

米国からオンラインで基調講演をするウィリアム・ペリー氏=2020年8月1日、長崎市、吉本美奈子撮影
 誤信号や事故で核戦争が始まってしまうリスクは、サイバー攻撃の可能性等により、さらに高まっており、核兵器システムの信頼性がますます揺らいでいるというのが現実だ。「核抑止」に依存する日本の安全保障は、まさにこの「核のボタン」に運命を委ねているということになる。

 さらに「核抑止」とは、相手が核の攻撃を仕掛けてきたら、こちらが必ず核兵器で報復する、という意思と能力を相手に保障することで成り立つ。もし、日本が攻撃されたとき、米国が核兵器で報復することをためらうようでは、抑止は成り立たない。その場合、日本政府は、米国に対して「核兵器の使用を要請する」覚悟があるのだろうか。その覚悟を持たなければ、「核の傘」で日本が守られる、というのは幻想となってしまう。

 また、「核の傘」に依存する日本の国際法上の問題はないのだろうか。日本は、1949年ジュネーブ4条約並びに1977年追加議定書を批准しており、文民に対する報復が禁止されている。言い換えれば、国際法上日本は「核兵器による報復」を拒否する立場にある。また日本は国際刑事裁判所(ICC)にも加盟しており、核兵器の攻撃で多くの文民が犠牲となった場合、ICC 規程によって文民を広範囲に攻撃した人道犯罪や、ジュネーブ条約で保護の対象となっている人々を攻撃した戦争犯罪が適用される可能性がある。

 「核の傘」に依存するということは、いざというときに戦争犯罪に問われることを覚悟することだ。米国でも最近、「広島・長崎への原爆投下は国際法違反であった」との論考(K. McKinney, S. Sagan, A. Weiner)が発表された。日本においても、「核の傘」がもたらす国際法上の問題はもっと議論されるべきだ。

プルトニウムと再処理問題

 2020年7月29日、青森県六ケ所村に建設中の日本初の大規模な再処理工場が、原子力規制委員会の安全審査に最終的に合格した。実はこの再処理工場が、日本の核のジレンマに深く関係していることはあまり知られていない。
再処理工場は、使用済み燃料に約1%含まれているプルトニウムを回収する施設であり、プルトニウムを燃料としてリサイクルする「核燃料サイクル」の要といわれる施設である。

工事が進む使用済み核燃料再処理工場=2020年7月15日、青森県六ケ所村、伊東大治撮影
 しかし、核兵器の材料でもあるプルトニウムを回収できる施設であることから、国際安全保障上、ウラン濃縮施設と並んで最も機微な施設として注目されるものである。現在、非核保有国で再処理施設を所有しているのは日本だけであり、以前に所有していたドイツやベルギーと、海外に再処理を委託していた欧州の国々は、フランスを除きすべて再処理から撤退している(英国はまもなく撤退の予定)。一方で、日本が認められている再処理の権利を求めるという国(例えば韓国やイラン)が出てきており、再処理は国際政治上、極めて機微な外交課題なのである。
・・・ログインして読む
(残り:約2047文字/本文:約3845文字)