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謎のYouTuber鈴木貫太郎さんに学ぶ「数学の愛し方」

再生数4000万超の動画づくりに隠された数学上達のコツとは

伊藤隆太郎 朝日新聞記者(西部報道センター)

 毎朝6時半に公開される入試問題の解説動画が大人気だ。2017年に始めて以来、これまで1日も休まずに続けられ、1000本を超えた。大学教授でも塾講師でもなく、肩書きは「専業主夫」。高度な内容でありながら、再生数は4000万回を突破し、しばしば「謎のユーチューバー」とも呼ばれる鈴木貫太郎さんだ。

 最初に公開した動画は、オイラーの等式「e=-1」の解説だった。「人類の至宝」とも呼ばれるオイラー公式「e=cosθ+i・sinθ」から導かれる。公式とは、いろいろな数値を代入できる文字を使って表された計算法則で、そこに具体的な値を入れると等式になる。この場合、美しくも難解そうなオイラーの公式のθに、円周率π=3.14という値を入れると、eとiとπというまったく関係のなさそうな三つが見事に結びつき、驚くべきシンプルな等式が誕生する。

再生回数が200万回を超した東大入試「π>3.05を証明せよ」の解説動画
 この式の成り立ちを、中学生にも分かるような平易さで、鈴木さんは見事に説明している。そもそも中学数学では、虚数「i」も自然対数の底「e」も、三角関数のsinもcosもまだ習わない。にもかかわらず、まるで山のふもとの登山口から一歩ずつ進み、最高峰エベレストの頂へと導くように、視聴者が理解するスピードに寄り添って解説してくれる。

 しかもその道の途中では、「微分とは何か」「対数とは」……という欠くことのできない説明がすべて登場する。初投稿したYouTube動画が、いきなり完成品だった。と同時にそのスタイルは独特。動画にはいっさい編集を加えず、固定カメラの前でひたすら語り通す。時としてカメラが途中でピンボケを起こすなど、アマチュア感にもあふれ(すみません)、不思議な魅力が満載だ。いったい鈴木さんとは何者か。自宅を訪ね、話を聞いた。

高校時代は「数学0点、学年で最下位」

 鈴木さんは1966年2月生まれ。高校は埼玉県立浦和高校だった。全国屈指の進学校として知られ、県立高校として当時、東大合格者数は全国トップ。同時に伝統的なサッカー強豪校としても有名だった。鈴木さんはこの浦和高校サッカー部に入りたい一心で、中学時代の最後に1日14時間の猛勉強をした。「でもそこで燃え尽きて、高校に入ったあとはぜんぜん勉強しなかった」

撮影用カメラ。自分で録画ボタンを押して、収録を始める

 高校では授業の半分以上をサボって、午後3時に登校することもしばしば。とりわけ苦手だったのが数学で文字通り「0点」を連発し、校内模試の成績は本当に学年ビリの「456人中、456位」だったという。だが2浪して進んだ早稲田大で、数学との思いがけない縁ができた。3年生の時、アルバイト雑誌で見つけた塾講師の仕事で、小学4年生に算数を教えることになった。

 その一人に、のちに桜蔭から東大へと進む「天才少女」がいたという。「これは自分もしっかり勉強せねば」と算数をいちからやり直し、全国の中学入試の過去問題を片っ端から解いていった。

 そのまま大学は中退し、塾の正社員に。結婚後は二人の子どもができたのを契機に専業主夫を選ぶ。妻が海外勤務になると、一家でロンドンに移住。その後、スロベニアに転勤になったころ、子どもが高校や大学への進学期を迎えるが、現地には日系の塾などない。「それじゃ、俺が教えるか」と決心し、ふたたび自分で猛勉強したことが、いまの土台になっている。

東大の入試問題を解説してヒット

 そんな鈴木さんを一躍有名にした動画が、「伝説の東大入試問題 π>3.05を証明せよ」だ。2018年4月に公開して以来、視聴数は200万回を超え、いまも伸び続けている。

動画撮影する部屋の入り口には、大学入試の過去問題がずらり

 第一印象では、さほどの難問ではなさそうに見える。円に内接する正六角形を描いて、その周の長さと比べれば、
  π>3.0
 ということは簡単に証明できるから、この正六角形より少し大きめの正多角形を内接させれば、たぶん証明できるのではないかな……。そんな見通しが立つだろう。

 鈴木さんの動画では、計算しやすそうな正12角形で解いている。この道案内が、なんとも見事だ。まず「高校1年の1学期までの知識で解けます」と宣言して、視聴者を鼓舞する。そしてさらりと余弦定理を復習しつつ示しながら、内接する正12角形の一辺の長さを導き出す。

 そして真骨頂はこの先だ。ただ計算した結果では、正12角形の辺の長さに、ルート2やルート3といった平方根が現れてしまう。これらの無理数を含んだ数が、円の直径の3.05倍より大きいことを示さねばならない。どうするか。はい、この先はどうぞ鈴木さんの動画をお楽しみ下さい。数学的に考えることの楽しさを堪能できること、間違いない。

決して最短ルートではなく

 ほぼ同じころに公開した「名古屋大学 z^6=64 の6つの解を求めよ」も、人気の動画だ。こちらも視聴数80万回を超すヒットとなっている。さて、6乗したら64になる数って、なんだろう?

名古屋大の入試問題「z^6=64 の6つの解を求めよ」の解説動画
 答えのうちの二つが「+2」と「−2」であることは、すぐ分かる。だが問題は残りの四つ。この解法の魅力も、鈴木さんの動画をご覧いただきたい。残りの四つの解には、やっかいな虚数が出現するが、その理由を丁寧に導いていく過程で「虚数とは」「平方根とは」をめぐる確かな実感が得られる。そしてさらに後半では、「複素平面」を使って六つの解を一気に導いてしまう手順が説明され、一層の驚きに包まれるという展開だ。素晴らしい。

 念のため付記すると、おそらく数学が得意な人ならば、そもそもこの動画で鈴木さんが示した手順を踏むことはない。なぜなら、もっと単純で短時間に解ける近道があるからだ。動画に付けられた視聴者コメントでも、そんな指摘が複数から出ている。

 でも鈴木さんの魅力は逆なのだ。近道ができる急傾斜の直線路ではなく、時間はかかるが一歩ずつ進めるゆるやかな回り道を、一緒に歩んでくれる。「誰もが登れる道順なら、こうですよ」という優しい導きが、鈴木さんの動画の主旋律になっている。昨年出版した光文社新書『中学の知識でオイラーの公式がわかる』の帯には、「ドラゴン堀江」の数学講師、ヨビノリたくみさんがこう賛辞を寄せている。「ここまで人間味あふれる授業を他に知らない」

数学と料理は同じだ

 訪ねたご自宅は、都内の一戸建て。動画を収録する部屋は2階にあり、カメラと照明、ホワイトボードが据えつけ状態になっている。隣にはキッチンがあり、そこでつい、プロ級の腕前とも噂される料理の話題になった。

 ——塾講師を辞めて専業主夫になれる自信があったのですか?
 掃除はできないけど、料理はできるので。普通の主婦とは違いますよ。包丁は研ぐし、きちんと出汁から取るし、冷凍食品もレトルトも使わない、買い物は毎日必ず行く、食材のストックはしない……。その日に食うものを、その日に買ってつくる。これが私のやり方です。 

平方数の逆数すべての和を求める「バーゼル問題」をデザインした自作パーカー姿で取材に応える鈴木さん

——必要な道具と材料をしっかりそろえて、取りかかる……数学に共通しますね
 はい、秋山仁先生も「数学と料理は一緒だ」と言っています。

 ——鈴木さんも秋山さんも、ゴールを示されると道のりが見えるのでしょう
 いや、秋山先生と並べられるのは恐縮ですが、妻との違いはあります。妻は料理をするとき、ずっとレシピを見ながらやる。あれはダメ。私は最初に1回見るだけで、途中では見ません。「ああ、こうなっているんだ」と最初に確かめれば終わり。どんな料理も、使う材料と道具がそろい、最終ゴールが決まれば、もう途中の手順は必然的な流れになります。だからその流れを理解していれば、途中でレシピを見る必要なんてない。

 ——おお、まさに数学と同じです。でもその流れを理解できない人は、仕方なく丸暗記してテストを乗り切るけど、応用はできない。まるで自分です
 いちいちレシピを見ながら「次はこれ」「その次はこれ」とやっているうちは、その料理はできてもほかの料理はできない。数学も同じ。問題と解説のあいだを行ったり来たりしているうちは、まだ身についていないのでしょう。

フルマラソンは「サブ3.5」

 ……目からうろこが落ちた。なにかを「理解する」とは、そういうことだ。鈴木さんの解説動画の収録も、いったん録画が始まれば、途中で止まることなく一気に最後まで進む。リハーサルはやらないし、やる必要も無いわけだ。

 鈴木さんは言う。「もちろん、問題を解いていて分からなくなれば、途中で答えを見るのは仕方ない。でもそれで答えが分かったなら、もう途中の解き方は自分で組み立てないとね。それができて、やっと力がつく」

 鈴木さんは自分自身を「のめりこむタイプ」だという。趣味の自転車では、家族で90キロ先の富士五湖まで走る。10年ほど前に始めたマラソンは、月に200キロを走って練習を重ね、最初に出場したフルマラソンで4時間15分という立派な記録。さらにタイムを伸ばし、その後は3時間半を切っている。市民ランナーの目標である「サブ3.5」だ、すごい!

 準備を整え、きちんと手順を踏み、そしてドップリと「のめりこむ」。うーむ、なかなか自分にはできない。憧れるなあ。