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共感の「害」を考える

『反共感論』の衝撃  危うい世論操作

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 イエール大学の心理学者、ポール・ブルーム著の『反共感論(Against Empathy)』が内外で反響を呼んだ(高橋洋訳、白揚社、2018)。今の世の中、共感=政治正義、共感万能の感がある。が、これが危ういという。

 筆者はかねがね「情報技術が、現代人の潜在的なこころに及ぼす影響」に関心を持ち、本欄にもあれこれ書いてきた。響き合うものを感じたので、以下掘り下げてみたい。

『反共感論』白揚社刊

 確かに今の世の中、「共感論」が圧倒的主流だ。つまり、政治的・倫理的問題の根底には、「被害者に対する共感の欠如」がある。それを解決するにも共感力アップこそがカギ、というわけだ。ブルームは米国のメディアや論壇から多々の例を挙げているが、「共感万能」なら日本も引けを取らない。共感力の有無が芸人だけでなく評論家、政治家の評価を決め、番組やSNSの人気を左右し、また差別発言やスキャンダルを測る物差しとなる。

 この共感万能論、マスコミ・世論だけでなく、専門の研究者にまで広がっている。たとえば心理学者のS.バロン-コーエンは、「悪人=共感を欠く人」「悪とは=共感の侵食」と述べている。彼は、自閉症=「心の理論」の欠如と定義した心理学者として知られる。心の理論の考え方では、人は相手の見聞きしていること(知覚)、知っていること(記憶、知識)、感じていること(情動)、期待していること(予期)について、推論したり信念を持ったりするが、この信念を比喩的な意味で「理論」と呼ぶ。

情緒的共感には害が多い?

 共感=政治正義というこの主流派意見に、ブルームは異を唱える。確かに共感に訴えることにはメリットもあるが、倫理的・政治的に大きくみれば、害の方がはるかに大きいという。

 このブルームの論を受け止めるにはまず、彼が共感を2種類に分けていることを理解しなくてはならない。ひとつは情動的共感(empathy)で、これは相手と同じことを文字通り体で感じる能力を指す。もうひとつは認知的共感 (sympathy)、こちらは社会的認知、社会的知性、マインド・リーディング、心の理論、メンタライジング(相手のこころの動きをシミュレートする能力)等々、普通の意味の同情、思いやりも含む認知能力を指す。たとえば、退屈している他人を見て自分も退屈してしまう(退屈が「感染」してしまう)というのは、情動的共感だ。他方、他人が退屈しているのをみて単に気の毒に思うのであれば、それは認知的共感ということになる。

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 ブルームによれば、認知的共感は合理的で政治判断に不可欠だが、情動的共感は非合理的でしばしば害をもたらす。たとえば、低開発国・貧困家庭の子供を支援する広告をみてみよう。具体的な(名前を持つ)こどもに焦点を当てて、寄付を促す。良いことのようだが、スポットの当たらない、別の国の多くの貧困家庭は割を食うことになる。また戦場の孤児を取り上げれば、両親を虐殺した勢力を悪者にするのは簡単だ。だがその勢力側にも被害者を見つけて、真逆の論を張ることも簡単だろう。つまりどこに焦点を当てて情動的共感を喚起するかで、「正義」の方向がコロッと変わってしまう(それがナショナリズムの本質とも言える)。

 ブルームはちらりとしか触れていないが、自動運転ではそうした倫理ジレンマがもっとも端的に現れる。統計やシミュレーションから、運転自動化で約90%の事故は防げる。ネット上での大規模調査でも「自動運転の実装や法律は、こうした統計数字に基づいてデザインされるべき」という意見に、大多数が賛成する。ところが

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