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協力者を置き去りにしてアフガニスタンを去った米国

「怪物」を育てたあげく無理に介入した米国と追従した日本

山井教雄 漫画家

 8月31日アメリカ軍のアフガニスタン撤退が完了しました。

 通訳などアメリカ軍に協力したアフガニスタン人数万人を残しての撤退完了です。8月16日、機体を追いかけ、すがりつくアフガニスガン人を振り落として離陸するアメリカ軍軍用機の映像をニュースで見て、この漫画を描きました。芥川龍之介の「蜘蛛(くも)の糸」がベースです。

 日本政府の対応も褒められたものではありません。タリバンが首都カブールを制圧した8月15日、早々と大使館を閉鎖し、17日には日本人大使館員は全員ドバイに逃げ出しました。日本企業、機関で働いていた日本人、500人以上の日本に協力していたアフガニスタン人は置き去りです。

 25日、政府は自衛隊機3機を送りましたが、救出したのは日本人1人、アフガニスタン人十数人というお粗末なものでした。(商売柄、取材や講演、展覧会などで、私は第三世界にしばしば行くことがありますが、一朝ことあった時には、日本大使館ではなく、アメリカ大使館に逃げ込むつもりでいます。日本人として残念なことです)

 第2次大戦中、駐リトアニア領事として、ナチに迫害されていたユダヤ人に、日本政府の命令にそむいて「命のビザ」を発行し続け、6000人の命を救った杉原千畝のような外交官は、もはや日本にはいないのでしょうか?

 1985年3月17日、イラン・イラク戦争が勃発し、イラクのサダム・フセイン大統領は、「48時間後にイラン上空を飛ぶ飛行機を全て撃ち落とす」と宣言しました。

 各国は救援機を飛ばし、自国民を救出しましたが、日本政府は憲法違反になるので自衛隊機は使えず、民間機も危険すぎて飛ばせない。イラン脱出を求めてテヘラン空港に詰めかけていた216人の日本人を前にお手上げ状態でした。

 タイムリミットが刻々迫る中、トルコ航空機がテヘラン空港に緊急着陸し、日本人全員を乗せて成田に向けて飛び立ちました。イラン国境を無事越えた時には、機内に大きな拍手がわき起こったということです。日本政府には、なぜトルコ航空機が日本人を救出してくれたのか、分かりませんでした。

100年前の恩義を忘れなかったトルコ

 トルコ大使によると、1890年、明治政府を表敬訪問したトルコ軍艦(当時はオスマン帝国)エルトゥールル号がその帰路、和歌山県串本沖で台風に遭遇、座礁して沈没。串本住人が総出で必死に救出作業をして、約600人の乗り組み兵のうち69人を救護しました。

 翌年、明治天皇は2隻の軍艦を仕立てて生存者を丁重にトルコに送り返したのです。日本からは義援金も送られました。この事件への感謝を、トルコ政府も、トルコ国民も忘れていなかったのです。危険な飛行をしてくれたクルーもトルコ人の志願者だったのです。100年以上前の善行への恩返しが「蜘蛛の糸」となる。これが外交というものだと思います。

講談社現代新書『まんが世界史』(2009年)から講談社現代新書『まんが世界史』(2009年)から
 米軍のアフガニスタン撤退劇を見て、
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