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プーチンの心理を読み違えた西側諸国 ウクライナ侵攻のパラドックス

「戦わない」国際平和主義が招いた危機を人類は乗り越えられるか

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 コロナ禍もそうだが、自分が生きているうちに、これだけの世界的な災厄が訪れるとは思わなかった。もちろんロシアのウクライナ侵攻による「第3次世界大戦の危機」のことだ。情報があふれているが、泥沼化している今こそ何が本質的か見極めたい。

ロシア軍の爆撃で破壊されたウクライナの建物=shutterstock.com

 「戦争とこころ」という観点から見ると、対峙(たいじ)する両側のジレンマにあらためて気づく。ロシアのプーチン大統領に今さら引く余地はなく、ロシア崩壊の危険をおかしても戦闘で優位を求める以外にない。他方西側諸国は、後付けの経済制裁で自分たちの首をしめ、またプーチンをより危険なすみに追い込んでいる。

 以下にまとめるように、そもそもこの戦争ほどパラドクシカルな現象はない。

バイデンらの「ゴーサイン」

 まず最大のパラドックスと感じたのは、次の点だ。

  もし戦う意思がないのなら、「戦わない」と言ってはいけない。

 バイデン米大統領は昨年12月7日、プーチンとの会談後に「戦争になっても米軍は派遣しない」と述べた。侵略にゴーサインを与えてしまったのだ。その後2月24日ホワイトハウスでの記者会見でも、ウクライナはNATO加盟国でなく、「米軍はウクライナでの紛争に関与しない。ウクライナでは戦わない」と強調した(2月25日、読売オンライン他)。そもそも2014年、ロシアによるクリミア半島併合に対し、西側は何をなし得たのか。また中国による香港での民主運動圧殺の時はどうだったか。西側の対応の弱腰をプーチンは観察し、教訓を得たのではないか。

 同様に、ウクライナが核兵器を廃棄したのも「誤りだった」のかも知れない。当のゼレンスキー大統領も、先のミュンヘン安全保障会議の席上、1994年に核を放棄したのは間違いだったと述べた。単純に「軍備を縮小すれば平和が訪れる」と信じていた(筆者を含む)国際平和主義者に、独裁者から強烈なアンチテーゼが突きつけられた。

 パラドクシカルな現象の第二として、戦争は予定通り始めることができるが、予定通りには終わらない。お互い国民に「負けた」とは言えないから、我慢比べの様相を呈する。これは歴史上、戦争が泥沼化する最大の要因だ。関連して、後付けの罰は逆効果であることが、今回も示された。現状、追い詰められたプーチンはより危険で、生物・化学兵器はおろか戦術核兵器にまで手を出しかねない(4月4日、ウェッジ他)。追い詰めれば追い詰めるほど、非人道的殺戮(さつりく)の危険が増すというジレンマに、西側諸国は直面している。

合理的な意思決定者モデルは、役立たない

 第三に指摘したいのは、相手に対する「心の理論」(=相手の心理予測)が外れたことだ。「ウクライナ全域侵攻は、ロシアにとって軍事的に不可能。仮にやれても良いことはなにもない。だからあり得ない」。西側の専門家たちは軍事・政治・経済各方面からこのように予測した。2月の時点で筆者も納得していたが、ものの見事に外れた。

 端的に、相手の出方を「合理的な意思決定者」モデルで予測すれば誤る。その理由は、

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