神津里季生・山口二郎の往復書簡(5)「あいまいさの海」にいては嵐を回避できない
2020年06月19日
私は法政大学の山口二郎教授との間でここ数年、「一強政治の弊害に歯止めをかけるためには、旧民主党勢力が一体となって力を持たなければならない」という思いを共有しつつ、幾度となくやりとりをしてきました。善後策も模索してきました。しかし思うに任せない状況が続くなかで、今回のコロナ禍を迎えてしまいました。日本の政治はいったい何をしようとしているのか? いったいどこへ行こうとしているのか? 社会におけるあらゆる事柄がこれまでの延長線上では対処不能なことは明らかです。長期戦の先のトンネルの出口を渇望し、山口教授と(できれば2週間おきくらいに)書簡の往復をお願いした次第です。今日はその第3回目です。
山口二郎先生
前回の書簡(「その場しのぎの緊急事態宣言解除~社会を掴む握力を失った政治」)において、嘆きに嘆いた「甲子園」の問題でしたが、その後変化がありました。選抜出場が決定していた高校同士による一試合限定という形で、球児の活躍の場が実現することとなりました。もやもやした感じのニュースが多いなかで、しばし胸をなでおろす思いでした。
山口先生が初回の書簡(「日本の宿痾『あいまいな構造』を拡大、強化した政治・行政改革」)の冒頭でおっしゃられたように「嘆くだけでは愚か」です。高野連は「次の改善」に向けて、相当の努力を重ねたものと推察します。高校球児の、大人たちへの信頼感はこれでかろうじてつながったかもしれません。
しかしまだ問題が残っています。それは観客を入れるか、入れないかです。私は是非観客を入れてもらいたいと思います。徹底的なPCR検査を施すことによって、観客を入れてほしい。そして、選手たちの夢が実現する舞台に、あたたかい声援と拍手が届くようにしてほしい。
これは決して実現不可能ではないはずです。文字通りの「次なる改善」です。
既にJリーグやプロ野球の開幕も現実のものとなっています。選手や関係者全員のPCR検査が前提となっているようです。スタート時点では無観客試合のようですが、私はこちらも徐々に観客数を増やしていってもらいたいと思います。テレビ中継で見られるからそれでいいという問題ではありません。
無観客試合を中継する画面で目に飛び込んでくる光景、それは一流の選手たちの熱戦が繰り広げられる一方で、スタンドはガラガラという異様な姿です。そしてその光景は、コロナのもたらす「無言の圧力」として、全国に流し続けられるわけです。人々は脅威の呪縛から解放されることなく、いつまでも、恐る恐るの日常を継続せざるを得なくなります。
私は、PCR検査の徹底と陽性者の治療もしくは隔離という当たり前のことができるのか否か、それがこの国の当面の状況を決定的に左右すると思います。
専門的知識を有する方々のなかには、感染初期における検査数絞り込みによって医療崩壊が阻止されたという“実績”をもって、PCR検査の拡大に消極的なスタンスを持っておられる方も少なくないのかもしれません。しかし、今は局面が異なります。
感染症対策と経済復興が矛盾しない世界を実現していくためには、いつでも当たり前のように検査を受けることができる体制が必要であり、それによってはじめて、不安を抱えることなく日常生活を送ることができるのです。
そのステージに踏み出していかない限り、秋に来るであろう感染期に、またもや補償なき自粛要請が繰り返され、生活も経済もさらに厳しい状況に追い込まれるのではないでしょうか。
これまで指摘してきたように、この間わが国は、かなり中途半端であいまいな政策推進であったにもかかわらず、感染による死者数は相対的にかなり低い水準におさまっています。それは、欧米の各国とくらべて顕著です。
この状況を前にして、私の脳裏には、最近よく使われているあの名将、故野村克也氏の名言「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」が浮かびます。まさしく不思議な勝ち。なんでこの程度の状況でとりあえず済んでいるのか、本当のところはまったく解明されていません。
私たち日本人は、あいまいさをついつい許してしまう性癖がどこかにあるように思えてなりません。
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