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K・ギルバート氏の本で心地よくなってはならない

「日本は素晴らしい」と快感を覚えるより、そこに「他山の石」を見るべきなのだ

福嶋聡 MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店

中国・韓国の非道の原因とは?

 ケント・ギルバートの『儒教に支配された中国人と朝鮮人の悲劇』(講談社+α新書)が、売れている。今年(2017年)2月に刊行され、私が持っている6月1日付で16刷、帯には「30万部突破」とある(その後、40万部を突破したという)。

憲法改正を訴える集会で提言をする弁護士のケント・ギルバート氏=10日午後3時17分、東京都千代田区の日本武道館、2015年憲法改正を訴える集会で発言するケント・ギルバート氏=2015年11月10日
 この本は、「嫌韓嫌中本」である。「悲劇」と銘打っているが、決して中国人や韓国人を慮って書かれたものではなく、現在の中国、韓国がいかに非道の国で、それによって日本や世界が大変な迷惑を蒙っているということを訴える本だからだ。

 この本の「新しい」点を敢えて挙げれば、両国の非道の原因を、儒教の支配に特定していることである。中国は、マルクスの共同体(アソシエーション)の理念からはかなり変節しているとは言え、今や世界に残る唯一の共産主義大国であり、韓国は宗教の面ではむしろキリスト教の影響が大きな国だが、それでも儒教の――ケントによれば誤った――支配がその根底を脈々と流れているというのである。

 ケントがいう「誤った」とは、両国の「儒教」が、本来であれば重要とされてきたはずの「道徳」や「倫理」を完全に置き忘れた、「公」よりも「私」を優先する「儒教」であることである。それは、羊を盗んだ父親を告発した子を諌めるような思想で、祖先崇拝、家族愛を前面に出す余り、「仁・義・礼・智・信」が破壊された「儒教」だと言うのである。

ケント・ギルバートの『儒教に支配された中国人と朝鮮人の悲劇』(講談社+α新書)ケント・ギルバート著『儒教に支配された中国人と朝鮮人の悲劇』(講談社+α新書)
 そうした誤って継承された「儒教」が、中国の領土的野心を育みアジア諸国を始め世界中に迷惑を撒き散らしているのである。もちろん、隣国日本にもその迷惑は及び、尖閣諸島の領有権の主張、更には沖縄の米軍基地反対闘争への黒幕的介入までもが示唆されている。

 韓国もまた、誤った「儒教」に毒され、もらえるものは何でももらい、感謝も礼の心も知らぬ、傲慢で厚顔無恥な仕業に明け暮れているという。日韓両国が「従軍慰安婦」問題に解決の幕を引けないのもそのせいである。挙句に、仏教や漢字の伝来ルートであることを盾にとって、日本の伝統文化はすべて韓国発祥のものであると強弁する始末だ、と。

 

「万世一系の天皇・皇室」の存在

 一方で、「それに較べて日本は素晴らしい」と主張されるのが、「嫌韓嫌中本」の常である。儒教精神から道徳心や倫理観が失われ、“「公」よりも「孝」、すなわち家族や一族を上に置く価値観から、やがて「私」が第一となり、自己中心主義が現れてき”た中国や韓国と違い、日本人は「公の心、秩序、名誉、勇気、潔さ、惻隠の情といった高潔な精神」、すなわち「儒教の教えのよい部分」だけを選んで、武士道に取り入れたと持ち上げる。

 そして、“なぜ同じ儒教に影響されながら、日本が中国や韓国と違った独自の文化を生み出すことができたのか”の理由として、「日本は建国以来、一度も王朝交代が起きていないこと」、すなわち「万世一系」の天皇・皇室の存在を挙げるのだ。

 確かにここ数年来の動きを見ていると、中国の版図拡大の野心は否定できない。韓国の前大統領の辞任にいたる経緯も、「公私混同」との責めは免れないだろう。

 だが、

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