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ビジョンなき司法取引の導入

河合幹雄 桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)

 法制審議会新時代の刑事司法特別部会の議論を経て9月18日法制審議会は司法取引の導入を決定した。経緯を知らない人からすれば、これによって犯罪者を捕まえやすくなりますとの説明により、良いことだと思うかもしれない。単純な世論調査を実施すれば賛成が多数であろう。しかし、深く意味を考えようという人からすれば、「謎」の改革に見えることであろう。多方面から取材を受けたが、とにかくどう理解していいのかわからないという記者ばかりであった。以下、少し解きほぐしてみよう。

 まず、短期的な経緯からは、厚労省局長であった村木厚子さんの障害者郵便制度悪用事件の冤罪事件から検討が始まったとすれば、奇妙なことになっている。係長が村木さんが犯行を指示したと証言したため、虚偽公文書作成罪および同行使で村木さんが逮捕され起訴されたが、指示がなかったと事実認定された。この係長の証言こそ「第三者の犯罪を明らかにした場合」司法取引に当てはまるのではないかとの疑問である。それに、冤罪防止の発想から始まったのに、なぜ冤罪を生む危険性が高くなる司法取引が認められるのか理解に苦しむという人も多いであろう。実は、これらに対しては、見事な説明ロジックがある。

 今回導入される司法取引は、被疑者と取調官との間では行わないで、弁護士と検事の間でのみ行う。被疑者と妙な取引をしようとしても、それは取調べの可視化によって防げるはずである。したがって、司法取引の「悪い使い方」がなされる危険はないという理屈である。理屈としては確かに通っている。冤罪防止のために取調べの可視化が導入され、それが前提なら司法取引が問題なくできるというわけである。村木さんの事件以降の短期的な見方からはなるほどの説明である。

 しかし、もっと視野を広げなければならない。日本の刑事司法は、裁判員制度導入はじめ激動期にある。古くからやってきた方法が通用しなくなったので大きな改革に踏み切ったと、但木敬一元検事総長や松尾浩也法務省特別顧問が明確に発言されている。取調べについて言えば、おそらく1980年代から、自白中心の取調べは旨く行かなくなってきている。まず、被疑者が簡単に自白しなくなった。さらに、自白しても公判で否認に転じ、取調べは違法なもので自白を強要されたと争うようになってきた。それでも自白調書を裁判官が認めてくれれば、やっていけたが、ついに最近は、裁判官が調書に頼ることをやめてしまった。これは、もはや決定的である。

 対処方法は、幾つかある。正道は、物証を充実させることである。通信傍受はこれに含まれるつもりなのであろう。公判で否認されることを防ぐ対症療法は何か。司法取引なら公判での否認はない。これが答えてある。このように考えたほうが、今回の制度改正は理解しやすい。しかし、それにしても対症療法である。長期的には、

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