【退任】週刊紙「アエラ」前編集長。1956年生まれ。78年朝日新聞社に入り、経済部記者、「アエラ」編集部員などを経て、2000年「アエラ」編集長。beエディター、出版本部長補佐などを経て、08年10月から「報道ステーション」コメンテーターを務めた。「アエラ」副編集長時代には、中吊り広告下の一行コピーを担当。2012年1月まで「WEBRONZA」編集長。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
私がすぐ「どこが問題なのか」と思ったのは、実は自分が「ゴーストタウンのような」というフレーズを口にしていた経験が大きかった。私は8月下旬、福島放送の取材で福島第一原発から30キロ圏内の川内村に入った。9月10日(土)放送の震災半年特番にコメンテーター兼レポーターとして出演することになっており、そのための取材だった。
川内村は村長の決断で3月中旬に約3000人の住民のほぼ全てが郡山市に避難した。その後村に戻った人もいるが、今は、村には200人が住むだけだ。私たちは郡山から車で川内村に向かった。村に入ると、異様な光景が広がっていた。広々とした田畑がほぼすべて雑草に覆われている。中には人の背丈ほどもある雑草に覆われている田もある。われわれ2台の車以外前にも後ろにも、すれ違う車はない。道路沿いにぽつぽつ建っている家には人の気配はない。私の脳裏に浮かんだ言葉は「村は死んでいる」だった。
車は村の中心部で一軒だけ営業している蕎麦屋に向かった。静まりかえった村を行くと、突然営業中ののぼりがはためいていた。私たちは、そこでそばを食べた後、ご主人のインタビューをした。私は「車で村に入ると雑草が生い茂った田畑の光景が目に入り、家には人影はなく、車にもすれ違いません。ゴーストタウンのようだと思っていると、営業中ののぼりが見えました。瞬間的に村はまだ生きているんだと思いました。ご主人が営業しているのは、村が生きていることを示したいからですか」。正確ではないが、概ねこんな表現で質問した。
私の頭にはこのとき、「ゴーストタウン」ではなく「死んだ村」という表現も一瞬浮かんだが、強い表現だと思い、ゴーストタウンという言葉を選んだ。ただ、それは「死んだ村」が禁句だと思ったわけではない。私には「死んだ村」「ゴーストタウン」「廃墟」くらいしか表現が見つからず、その中ではゴーストタウンが最も柔らかいという「私なりの言葉の感性」に従ったに過ぎない。
蕎麦屋のご主人は
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