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「風立ちぬ」(零戦)からMRJまで70年、航空機産業の空白はなぜ生まれたか

木代泰之 経済・科学ジャーナリスト

 アニメ「風立ちぬ」(宮崎駿監督)が、第41回アニー賞の長編アニメ部門脚本賞を受賞した。零戦の設計者・堀越二郎氏がモデルである。彼が働いた三菱重工業はいま日本初となる小型旅客機MRJ(三菱リージョナルジェット、写真)の開発を急いでいる。ボーイングやエアバスという巨大2社との競合を避け、カナダとブラジルのメーカーが牛耳る小型機市場の一角に食い込む戦略を立てている。

MRJの想像図、三菱航空機HPより拡大MRJの想像図、三菱航空機HPより

 日本の航空機産業の売上高は約1.3兆円で、自動車産業の50兆円やエレクトロニクスの13兆円、造船の2.7兆円にも及ばない。戦前に零戦や九六式陸上攻撃機など多くの名機を作った日本の航空機産業がなぜ戦後、このように見劣りする有様になったのか。また復活の可能性はあるのか――「風立ちぬ」の受賞を機に考察してみたい。

 終戦の1945年、日本の航空機生産と研究開発はGHQによって一切禁止された。米国が航空機産業の復活を恐れたためで、禁止はサンフランシスコ講和条約発効の5年後1957年まで続いた。この12年間の空白が実に致命的な打撃を与えたのである。

 失業した航空機技術者たちの多くは、ちょうど勃興期を迎えていた自動車産業や建築業界、コンピューターの開発者として拡散していった。

 この時期、欧米の航空機産業では革命的な変化が起きていた。プロペラ機からジェット機へのパラダイムシフトである。日本はこの技術革新の大波から取り残され、主に米国製の旅客機を買うだけの顧客に甘んじることになった。

 そんな中で57年、国産のターボプロップ機「YS-11」の開発気運が高まり、「輸送機設計研究会」がスタートした(YSは輸送機と設計の頭文字)。堀越氏はじめ戦前の技術者が集結し、1号機が64年に就航した。三菱が中心になって計182機を生産し、約10カ国に輸出した。

 しかし、生産を担当する日本航空機製造(株)が官民の寄せ集めで責任体制が明確でなく、官僚の天下りが増え、360億円の赤字を出した。そう大きな金額ではなかったが、官民プロジェクトにありがちな非効率と無責任が露呈して同社は解散した。この失敗で

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筆者

木代泰之

木代泰之(きしろ・やすゆき) 経済・科学ジャーナリスト

経済・科学ジャーナリスト。東京大学工学部航空学科卒。NECで技術者として勤務の後、朝日新聞社に入社。主に経済記者として財務省、経済産業省、電力・石油、証券業界などを取材。現在は多様な業種の企業人や研究者らと組織する「イノベーション実践研究会」座長として、技術革新、経営刷新、政策展開について研究提言活動を続けている。著書に「自民党税制調査会」、「500兆円の奢り」(共著)など。

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