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平成の間に日本経済が失ったもの

武田淳 伊藤忠総研チーフエコノミスト

平成を象徴する「デフレ」

 そして、経済という観点では、物価下落の継続、すなわち「デフレ」こそが平成の象徴的な事象であろう。この場合の物価とは、一般的に消費者物価であるが、その平成に入ってからの推移を見ると、平成2年度の前年比+3.3%をピークに鈍化が続き、7年度には戦後初めてのマイナスを記録、さらには11年度から17年度まで7年連続、21年度から24年度まで4年連続でマイナスと、平成29年度までの間に13回もマイナスとなる年があった。そのため、29年度の物価水準は、バブルが崩壊した5年度から3%強上昇したに過ぎず、この上昇幅は2度の消費税率引き上げで全て説明できる。つまり、この間に物価は実質的に全く上昇しなかったということである。

 物価がここまで抑制された原因の一つに、バブル崩壊によって株式や不動産など資産価格の下落が続いたことが指摘できる。平成バブルの特徴は、言うまでもなく資産価格の行き過ぎた上昇であり、明らかに割高な価格まで株式や不動産が買い上げられたのは、当時、経済合理性に基づいて価格を評価する手法があまり普及しておらず、価格が「上がるから買う」という投資行動が問題視されなかったためである。加えて、プラザ合意によって円高が進行、景気が回復する中でも物価が上がらなかったため、緩和的な金融政策が必要以上に続けられたことも、バブル形成を後押しした。

 そうした観点で見れば、バブルの崩壊に始まる平成の時代は、資産の価値評価において、それまでのバブル発生リスクを包含した価格形成メカニズムから脱却し、株価で言えば企業業績やバランスシートとの比較で、不動産価格で言えば賃料収入や流動性といった経済合理性に基づいた価格形成に移行した時代だと言える。そうした健全な資産市場への脱皮が、その後のバブル発生を防ぎ、リーマン・ショックの直接的なダメージを極小化したわけであるが、その過程では長期に渡ってデフレ圧力を強める大幅な資産価格の調整を強いられたことになり、市場経済の成熟化に対する代償は小さくはなかった。

拡大積み上げられた安売りの缶ビール箱。「価格破壊」が流行語になった=1994年6月

価格破壊や米国流経営礼賛の誤解

 デフレが深刻化したもう一つの原因として、物価下落に対する短絡的な賛美を指摘したい。バブル崩壊後の経済立て直し期において、その原動力として当時もてはやされたのは「価格破壊」という行動である。その原点は、低価格路線で成長する大型小売チェーンを描いた小説であり、非合理的な商習慣の是正や生産・流通過程の見直しによりコストを抑制、それを原資に販売価格を引き下げることで他店に対する競争力を高めるという内容だった。これを日本経済全体に置き換えると、規制緩和や効率化によって生産性を高め、経済成長を実現しようという、それだけをとってみれば至極真っ当なものである。

 しかしながら、本質的な目的である生産性の向上よりも、副次的な結果に過ぎない価格下落にのみ注目が集まったため、品質を落とし価格を下げる「安かろう悪かろう」の横行を許した。最終的に、価格引き下げだけを求めた企業の多くは自滅することになるが、こうした動きが広がったのは、所得環境の悪化により、低価格の粗悪品を受け入れざるを得ない消費者が増加したことも一因であろう。厚生労働省の統計によると、サラリーマン一人当たりの平均賃金は、平成10年度に前年比で初めてマイナスとなり、以降、15年間に渡って低下傾向が続いた。その内容も、当初は残業代やボーナスの削減が中心であったが、非正規雇用へのシフト、さらには基本給の引き下げ、すなわち「賃下げ」までが当然のように行われるようになった。そして、その動きを増長したのが、当時礼賛された「米国流経営」の誤った理解だと思う。「リストラ=人件費カット」という安直な考え方、いわば経営上の無策が、賃金引き下げを正当化していたのではないか。賃金よりも雇用を優先する「ワーク・シェアリング」という考え方もあったが、一部だったように思う。

 デフレという面から平成時代を評すれば、バブル崩壊からの救世主と持ち上げられた「価格破壊」が行き過ぎ、物価の下方硬直性を支えていた賃金上昇という防波堤をも破壊してしまった結果、真正デフレに突入、日本経済の「質」が徐々に切り下がっていったのではないだろうか。


筆者

武田淳

武田淳(たけだ・あつし) 伊藤忠総研チーフエコノミスト

1966年生まれ。大阪大学工学部応用物理学科卒業。第一勧業銀行に入行。第一勧銀総合研究所、日本経済研究センター、みずほ総合研究所の研究員、みずほ銀行総合コンサルティング部参事役などを歴任。2009年に伊藤忠商事に移り、伊藤忠経済研究所、伊藤忠総研でチーフエコノミストをつとめる。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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