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農協・農林族議員・農水省の「農政トライアングル」に不協和音

食料自給率、米減反、農産物輸出を巡り利害対立。農家と農協の利益乖離が広がっている

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

農政トライアングルの形成と戦後農政の骨格

 農政は、農協、農林族議員、農水省の三者による連合体で実施されてきた。

 農協は多数の農民票を取りまとめて農林族議員を当選させ、農林族議員は政治力を使って農水省に高米価や農産物関税の維持、農業予算の獲得を行わせ、農協は高米価等で維持した零細農家の兼業収入を預金として活用することで日本第二位のメガバンクに発展した。

 私は、『農協の大罪』という著書の中で、これを“農政トライアングル”と呼んだ。これは極めて強力な利益共同体だった。

 この農政トライアングルは、どのようにして形成され、何を政策として実現してきたのだろうか?

 戦後の農地解放で、地主から農地を取り上げ小作人に安く売り渡した。所有権を与えられた小作人は自作農となった。終戦直後に小作人解放を目的として農村に進出した社会主義・共産主義勢力は、農地解放が進んで小作人が小地主になり保守化したことから、農村から撤退した。

 この事態を見たマッカーサーと池田勇人が、農村を共産主義からの防波堤とするために、農地解放の成果である自作農を維持することを目的として農林省に作らせたのが“農地法”である。

 株式会社の場合、耕作は従業員、所有は株主となって自作農主義に反することになる。このため、実家が農家ではない若い人がベンチャーの株式会社を作って出資金を募り、農地を取得して農業を行うことは、農地法上認められない。

 終戦直後は凶作で大変な食糧難となった。闇値が高いので、農家は政府に売るよりも闇市場に米を売ってしまう。そうなると貧しい国民にも等しく食糧を供給(配給と言った)しようとする政府に米が集まらない。それでは困るので、農家から米を集荷させるため、戦前の統制団体を改組して作ったのが、今のJAと言われる農協である。

 酪農や果実にはJA以外に専門農協があるが、米にはJA以外に農協はない。JAは米の集荷のために作られた組織だったからである。JAが米に異常にこだわる理由はここにある。

 農地解放で、均等な農家で構成される農村が出来上がった。これは一人一票主義(大きい農家も小さい農家もすべての組合員が等しい発言権を持つ)を組織原理とするJA農協にとっては好都合だった。農村はJA農協によって組織された。

 マッカーサーと池田が思い描いたように、農村は保守党を支える礎となった。農地法と農協が戦後の長期保守政権を実現したと言っても過言ではない。ある意味、この二つは最強の防共政策だった。

拡大青空交渉で鈴木善幸農相に「農政の失敗ではないか」と迫る農業団体関係者=1977年7月18日、東京都千代田区九段南の農林省分庁舎

農家戸数を維持し、政治力を保持した

 1980年代から90年代にかけての日米貿易摩擦は米ソの冷戦時代と重なった。農産物の貿易自由化を主張するアメリカに対し、日本の農水省は「日本に社会主義政権ができてもよいのか」と反論していたのである。

 日本経済が復興するにつれ、農業と工業の所得格差が拡大していった。1961年の農業基本法は、米作については規模拡大によるコストダウン、米作を止める農家については米から需要の伸びると考えられた果樹や畜産への転換(選択的拡大と言われた)によって、農業所得を増大させ、農工間の所得格差を是正しようとした。

 これによって畜産などでは規模拡大が順調に進み、現在畜産農家は一般の国民の数倍の所得を稼ぐまでになった(『あなたの知らない農村~養豚農家は所得2千万円!』『続・あなたの知らない農村~酪農は過重労働?』参照)。

 しかし、JAが基盤とする米についてだけは、農政は農業基本法が求める政策を採らなかった。1960年代、政府が農家から買い入れていた米の価格(生産者米価と言った)を上げたのである。農業基本法のように、農業の構造改革によって農家所得を向上させようとするのではなく、農家票を意識して安易な方法をとったのだ。

 しかし、米価が上がったので需要は減り生産は拡大し、政府に大量の過剰米が累積した。この処理に多額の財政負担を強いられた政府は、農家に補助金を出して減産させることで、事前に過剰米処理を行わせようとした。こうして始まったのが、減反(正式には生産調整と言う)だ。

 減反の始まりは財政的な理由からである。当時財政当局の力は、今からは考えられないほど強かった。

 1995年食糧管理制度が廃止され、米の政府買い入れがなくなった今、減反が唯一の米価支持の方策となった。食糧管理制度の時には全量買い上げを主張して減反に反対していたJA農協が、今は熱心に減反を推進している。他の農業と異なり、高米価政策で零細な農家が大量に滞留した。

 これらの農家の主たる収入源は兼業収入と年金収入である。農家全体でみると、多数の米農家の存在を反映して、2003年当時で農業所得に比べ兼業所得は4倍、年金収入は2倍である。これらの所得はJA農協の口座に預金され、JAバンクが預金量百兆円を超える日本第二位のメガバンクに発展することに貢献した。

 酪農については、多数の農家が離農し、残った農家がそのあとを引き継いだりして規模拡大が順調に進んだ。酪農家の戸数は、この50年くらいの間に25分の1以下に減少しているが、JAはこれに関心を示さなかった。

 農業基本法が処方した米農業の規模拡大は、農地面積が一定の下では米農家の戸数減少が前提だった。しかし、これはJAの受け入れられるところではなかった。JAが推進した高米価政策によって多数の零細農家が米農業に滞留した。これは農林族議員にとっても選挙を勝ち抜くうえで好都合だった。

 農家数で言うと8割程度の農家が米を作っているが、その生産額は日本農業の2割にも達しない。他の農業に比べ、いかに非効率な農家が米に滞留しているかがわかるだろう。

 農水省の役人も変心した。戦後しばらくの間、農林省では小作人を解放した後は、零細農業構造の改善に手を付けるべきだという意見が主流だった。これが戦前の農業の二大課題だったからである。省内で“農地改革から農業改革へ”というスローガンが唱えられた。農林省が理想と信念に燃えた時期だった。農業基本法はその集大成だった。

 しかし、農業基本法のように米農業の構造改革=規模拡大をしようとすると、農家戸数は減少する。そうなれば、農林省は政治力を利用して大蔵省(財務省)から予算を獲得することはできなくなる。天下り先の確保にも支障が生じる。

 このように考えるようになった農林官僚は理想を放棄した。こうして、農協、農林族議員、農水省三者の利益が一致する農政トライアングルが形成された。

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筆者

山下一仁

山下一仁(やました・かずひと) キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

1955年岡山県笠岡市生まれ。77年東京大学法学部卒業、農林省入省。82年ミシガン大学にて応用経済学修士、行政学修士。2005年東京大学農学博士。農林水産省ガット室長、欧州連合日本政府代表部参事官、農林水産省地域振興課長、農村振興局整備部長、農村振興局次長などを歴任。08年農林水産省退職。同年経済産業研究所上席研究員。10年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。20年東京大学公共政策大学院客員教授。「いま蘇る柳田國男の農政改革」「フードセキュリティ」「農協の大罪」「農業ビッグバンの経済学」「企業の知恵が農業革新に挑む」「亡国農政の終焉」など著書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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