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地域交通の主役は「鉄道やバス」ではなく「自家用車」で良い!

自家用車利用を含む輸送分担率を公表しない国土交通省の摩訶不思議

福井義高 青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授

 筆者はこれまで3回にわたり、九州、北海道、四国のJR3島会社の経営問題を新幹線建設やローカル線維持の是非を切り口に「論座」に寄稿した。タイトルを挙げると『長崎新幹線はJR九州破綻の始まりだ』『JR北海道を三分割せよ』『JR四国は「新幹線を持たない強み」を活かせ』である。

 3回を貫くテーマは「巨額の税金を投入して新幹線を造り、ローカル線を維持する意味があるのか」ということだ。その検証を、国が進めるEBPM(Evidence-Based Policy Making;証拠に基づく政策立案)にならい、運輸データや経営数値を用いて試みたのである。

 EBPMは、内閣府のホームページによれば、「政策の企画をその場限りのエピソードに頼るのではなく、政策目的を明確化したうえで合理的根拠(エビデンス)に基づくものとすること」とある。

 鉄道に関する議論は、ややもすれば鉄道天動説に陥りがちであるけれども、鉄道は本来、いくつもある輸送手段のひとつとして、交通全体のなかで、そのあり方を考えなければならないし、鉄道を特別扱いする必要はないはずである。

gui jun peng/Shutterstock.com

1.地域での交通は「公共」でなければいけないのか

 実は最近、交通政策に詳しい知人から、今年1月に国土交通省の交通政策審議会の地域公共交通部会が「中間とりまとめ」を出したことを受けて、地域の公共交通のあり方について意見を求められた。

 ところが、筆者はその「中間とりまとめ」の内容はおろか、そんな部会があることすら知らなかった。遅ればせながら「中間とりまとめ」を読んだところ、門外漢らしい(?)素朴な疑問が浮かんできた。

 それは、地域での交通がなぜ公共でなければならないのかということである。

 この問いは、地域の交通の担い手を考える上で最も根源的な問いであるはずだ。なぜ、公共でなければならないのか。データをもとに考えてみたい。

 移動は人間にとって不可欠な活動であり、どこに住み働くにせよ、「中間とりまとめ」冒頭にもあるように、「日常生活等に必要不可欠な交通手段の確保」が重要な政策課題であることに異論はない。

 しかし、そのために、なぜ地域公共交通が「豊かで暮らしやすい地域づくりや個性・活力のある地域の振興を図るうえで不可欠な基盤的サービス」として必要なのか、「中間とりまとめ」を読んでもわからなかった。そもそも、国交省や部会メンバーの間では、議論の余地のない常識ということなのかもしれない。

 本当にそうだろうか。

 人間社会に不可欠なのは移動という機能を担う手段であって、それが公共すなわち乗合輸送手段である必要はない。

 乗合とは、文字通り不特定の人々が一緒に乗る鉄道やバスのような形態を示している。「公共」という言葉が使われると、なかなか面と向かって反対しにくいのが人情である。乗合交通に限らず、議論において、内容以前に表現で優位に立とうとするのは一種の常套手段ではある。

 そのわかりやすい例は、米国の「愛国者法」と会計基準の「公正価値会計」だ。米国政府は2001年9月11日の同時多発テロの直後、基本的人権を大幅に制限する法律を愛国者法(Patriot Act)と名付け、上下両院の圧倒的多数の賛成を得て成立させた。時価会計は公正価値会計と名付けられ、その推進論者によって、「時価が公正」というイメージでマーケティングされ、この表現が世界中で定着している。それぞれ、人権制限に反対するものや、時価会計に反対するものは、あたかも非愛国者であり、不公正価値論者であるかのような印象操作である。

 実際、移動手段としての乗合交通の重要性はどの程度のものなのか。なんとか数量的に把握すべく、審議会のエライ先生方と違って、主にインターネットを通じて公開データしか入手できないなか、それをもとに筆者が作ったのが、四国及び日本全体の陸上輸送量の移動手段別分担率を示す図表1である。輸送人キロと輸送人員をともに推計した。

 地域別データは運輸局を単位としたものしか公表されていない。四国を選んだのは、陸上旅客流動の域内完結性が高く、「中間とりまとめ」が主たるターゲットとしている「地方部」だけからなるエリアなので、そのデータは地域公共交通政策を考えるうえで、他地域データよりも参考になると考えたからである。同じように域内完結性が高い北海道の場合、札幌周辺という日本有数の大都市圏とそれ以外の地域に両極化しているので、合計値データで地域交通を語ることは困難である。その点、四国の場合は大都市もない代わり、極端に人口密度の低い地域もないので、合計値で議論することに一定の意味があろう。

 直近データである2018年度の全国シェアをみると、輸送人キロでは自家用車が62%なのに対し、バスが貸切も含め5%、タクシーは0.4%、鉄道が32%で、乗合交通は合わせて38%。輸送人員もほぼ同様で、自家用車が67%なのに対し、バスが5%、タクシーが1%、鉄道が26%で、乗合交通計は33%となっている。全国ベースでみれば、先進国では例をみない鉄道分担率の高さから、移動の3分の1を乗合交通が担っていることがわかる。

 ところが、四国では、輸送人キロの分担率は自家用車89%に対し、バス6%、タクシー0.4%、鉄道5%を合わせて乗合交通は11%しかない。輸送人員では、自家用車94%に対し、バス1%、タクシー1%、鉄道3%を合わせて、乗合交通はわずか6%。バス・鉄道利用は県庁所在地やそれぞれの間の移動が占める割合が大きいので、それを除いた四国における移動に占める乗合交通の分担率は、輸送人キロでみるにせよ、輸送人員でみるにせよ、せいぜい数%といったところであろう。

 比較対象として、2009年度(なぜこの年度を選んだのかは後述する)の数値も示したけれども、輸送量自体が増えるなか、全国ベースではほとんどシェアは動いていない。一方、四国では同じ期間、全国と同様に輸送量が増えたなかで、バス利用が激減し、自家用車のシェアがさらに上がったことがわかる。

 四国の場合、県庁所在地や一部の都市を除き、もはや、移動手段は自家用車に限られる状況にあるといってよいだろう。データで見る限り、移動が人間にとって不可欠ではあっても、それを実現する手段としての乗合交通は、ほぼ使命を終えた存在となっている。大都市圏を除けば、四国以外の地域でも事情が変わるとは思えない。

 もちろん、このような状況は望ましくないので、自家用車利用を抑制し、乗合交通の利用を促進すべきという主張はありうる。ところが、「中間とりまとめ」を読んでも、自家用車より乗合移動手段のほうが望ましいという説得力ある議論は提示されていない。

 逆に、おそらくその意図に反し、「中間とりまとめ」は、自家用車利用の優位性を暗に認めている。乗合交通に付いて回る問題である、乗り降りするところから目的地までのいわゆる「ラストマイル」に対処する必要性を唱えているけれども、そもそも自家用車を利用すれば、そんな問題は存在しない。しかも、「中間とりまとめ」が乗合交通のさらなる衰退を食い止めねばならないと考えている地域は、渋滞とも駐車場難とも無縁なのだ。

 「中間とりまとめ」は「地域公共交通は地域の暮らしと産業に不可欠な基盤的サービスであるとの認識を共有した上で……施策の整理を行った」とある。しかし、部会メンバーに共有された「認識」というのは、データに基づく客観的事実の認識ではなく、信念といったほうがよいように思える。

2.EBPMはどこへ

 地域交通のごく一部に過ぎない乗合交通のみ取り上げ、しかも、数量的議論はほとんどない。これは、現在、国策として推進されている(ことになっている)EBPMと整合性がとれているのだろうか。

 先に述べたように、EBPMは「証拠に基づく政策立案」であり、それには基礎的データの開示が必須である。

 地域公共交通に限らず、旅客輸送に関して議論する際、移動手段別のシェアがどうなっているかは、現状を把握し、あるべき姿を描くうえで不可欠のデータである。ところが、国交省は現在、「輸送機関別輸送分担率」として、ナンセンスとしか言いようのないデータを開示している。図表1で直近(2018年度)との比較対象として2009年度を選んだのは、国交省が、翌2010年度以降、国内旅客輸送量に関して、自家用車利用分を除外したデータしか公表しなくなったからなのだ。

 図表2は、国交省がホームページで公開している2009年度及び最新のデータである2017年度の公表値と、筆者の2017年度修正値を示したものである。

 国交省公表値によれば、輸送人キロでみると、自動車分担率が2009年度の66%から2017年度には12%に激減する一方、鉄道分担率は29%から72%、航空も6%から16%に激増している。輸送人員も自動車が74%から19%に激減、鉄道が25%から80%に激増している。

 しかし、自家用車利用を加えた修正値でみると、2017年度の輸送人キロのシェアは、自動車が63%、鉄道が30%、航空が7%、輸送人員のシェアは自動車が73%、鉄道が26%で、2009年度分担率とほとんど変わらない。

 いったい自家用車利用を含まない輸送分担率にどんな意味があるのだろうか。

 「中間とりまとめ」は「公共交通を地域の移動手段の中核と位置付け、その確保・充実を図る必要があると考えるべき」としている。そもそも、国交省は地域交通において、それが望ましいかどうかはともかく、自家用車利用から乗合交通への転移を推進している。

 だとするならば、現状の自家用車と乗合交通の分担率がどうなっているのかというデータに基づき、どのような分担率が望ましいと考えるのか、ある程度の目安を示す必要があろう。それ以上に、「公共交通を地域の移動手段の中核と位置付け」るという発想自体に現実性があるのかどうかを判断する前提ともなる。ところが、データ自体の公表が2009年度を最後に行われていないのが現状なのである。

 したがって、図表1の陸上輸送分担率の2018年度数値も筆者が推計したものである。

 2010年度以降、国交省が自家用車利用を含んだ分担率を公表していないのに、図表1でも図表2でも、なぜ、一門外漢にすぎない筆者が推計できたのか。それは、自動車輸送統計年報の付表(3)「自家用軽貨物自動車及び自家用旅客自動車に係る輸送量」に推計値がひっそり(?)と開示されているからである。

 ちなみに、自家用車利用を除外した国交省公表値は、毎年刊行される国交省鉄道局監修の『数字でみる鉄道』でも、欧米主要国との旅客輸送分担率「比較」に用いられているけれど、当然ながら、他国の数値には自家用車利用分が含まれている。国交省の欧米とのデータ比較に基づく議論にはご用心!

 いずれにせよ、基礎的データを欠いても、地域交通に限らず、旅客輸送のあるべき姿を描くことはできる。しかし、それがEBPMでないことだけは確かである。

3.地域交通政策は自家用車中心で

 自家用車は、いつでもどこでも思い通りに移動でき、ラストマイル問題もなく、プライバシーが尊重される点でも、乗合交通とは比較にならないほど優れている。渋滞や駐車場難と無縁の地域であればなおさらである。高邁な理想ではなく、データに基づいて判断する限り、自家用車が地域の移動手段の中核であり、今後も、現在すでに圧倒的なそのシェアはさらに増えていくだろう。

 図表3は2019年末時点における50歳以上の年齢層別免許保有率である。

 50~54歳の免許保有率は男女とも100%に近くなっている。男性の場合、70~74歳でも保有率は90%近いけれども、女性は50%強に留まっており、男女格差は高年齢に行くほど広がる。85~89歳でも男性の三分の一が免許を持っているのに対し、女性の免許保有者は数%しかいない。

 この年齢層別データが示すのは、今後、女性高齢者に占める免許保有者の比率が飛躍的に増加するということである。現在、自分で運転できるお婆ちゃんはまだ少数派ながら、お爺ちゃんだけでなくお婆ちゃんも自家用車を運転するのが当たり前になる時代が迫っているのだ。

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