知る人ぞ知る存在から、たくさんの人が共有する存在へ
2017年05月26日
インターネットのサイトにしても、テレビ番組であっても、雑誌でも、そこに登場するには、そこの空気にあった「○○っぽさ」が必要なときがある。
今回のように星野源を取り上げるということにも、ちゃんとWEBRONZAらしさが担保されているようにも思う。なぜなら、星野源はもはや社会において論じられる必要がある存在だから、ここに取り上げられるのだ。
ほかにも、テレビ番組やドラマにも、それぞれ「○○っぽさ」というものは存在している。
例えば雑誌であれば、「TVBros.」はテレビ誌なのに、明確な「ブロスっぽさ」があるし、本を紹介する雑誌「ダ・ヴィンチ」などにも、そこで連載をしている人の人選には「ダ・ヴィンチっぽさ」が存在していて、読者もそれを共有していると思われる。
だからこそ、その「っぽさ」のない人が両誌の表紙を飾ったりすると、読者は「え?」と思うし、「っぽさ」のない人がいくら出たいと願っても、両誌の「っぽさ」がなければ出ることは許されない。そういう、目に見えない「っぽさ」というものが強く存在する媒体というのはある。
さて、星野源さんなのだが、彼はその「TVBros.」や「ダ・ヴィンチ」といった「〇〇っぽさ」が強い雑誌で長らく連載を持ち、また表紙になることも多いアーティストだ。また、NHKのコント番組「LIFE!~人生に捧げるコント~」などに出演する活動も、星野源さん自身の「星野源っぽさ」を形作っていると思う。
ここで、「星野源っぽさ」とは何なのかと考えると、どちらかというとメジャーシーンというよりはそうでないシーンでの人気があり、ゆるい空気は保ちつつも、ちゃんと世に送る音楽や文章には人々をうならせるものがあり、センスの良さや独特の空気を必要とする雑誌や番組や映画にひっぱりだこの人というイメージがある。
しかし、そのときはまだ、星野源がここまでの人気者になるとは想像していなかった人も多いのではないだろうか。
だから、2016年の大ヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」に津崎平匡という役で出演したことで、特に長年、彼の「星野源っぽさ」を見てきた人は驚いたのではないだろうか。私もその一人だった。
もちろん、津崎平匡という役自体には「星野源っぽさ」はある。しかし、それがガッキー(新垣結衣)の相手役で、視聴率が最終的に20%を超え、そしてファン層が拡大し、社会現象になり(そのことで、こうして新聞社系のサイトでも話題になるようになったのだ)、ドラマ賞を総なめにすることまでを、「星野源っぽさ」として捉えていた人は、2015年時点ではいなかっただろう。
太田省一 マルチな星野源は「楽しい地獄」を生き抜く――「ポップ」をめぐる二重の使命と静かな決意表明(WEBRONZA)
ところが、星野源の面白さは、かつての「星野源っぽさ」を超えて、新しい「星野源っぽさ」をどんどん拡張していくことだ。
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