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大ヒットから40年 二人の「異邦人」の心の旅 

あの名曲を歌った久保田早紀から久米小百合へ。今はキリスト教のために歌う日々

丸山あかね ライター

アイドルコンテストだと知って、シマッタ!

――久米さんは幼い頃からピアノを習ったり、お友達に誘われて教会の日曜学校で賛美歌に触れたりして育ったのですね。中学時代にはバンドでキーボードを担当し、ユーミンさんの歌に影響を受けて作詞作曲を手掛けるようになりますが、そこから「異邦人」でデビューするまでの経緯が面白い。ミス・セブンティーン・コンテストに出場して……。

 いや、あれは(笑)。自分の作った歌をプロに評価してほしいなという想いがあって。そんな時に母が新聞の切り抜きを見せながら「これに応募してみたら?」って勧めてくれたのがミス・セブンティーン・コンテストだったんです。確かに「自作自演の人も募集中」とあったので、うっかり応募してしまったのですが、アイドルを発掘することが目的のコンテストだと知って、シマッタ! と。地区予選に出場が決まった時もお断りしたのですが、音楽に関心のある方にも参加してもらいたいと押し切られてしまい……。

 結局のところ、オーディション会場で自分で作った歌を披露したのです。でも会場はティーンだらけ。一方、私は二十歳を目前に控えた短大生でしたので完全に浮いてました。もちろん落選でした。

名曲「異邦人」の誕生秘話

「異邦人」のレコードジャケット拡大「異邦人」のレコードジャケット(提供:ソニー・ミュージックダイレクト)
――でも、この話には続きがあって、後日、オーディション会場にいたというソニーの方から「他の曲も聴いてみたい」と連絡があったのでしたね。

 ええ。ソニーのスタジオで待ち受けていたのは金子文枝さんという音楽プロデューサーでした。金子さんこそが、久保田小百合(結婚前の本名)を歌手・久保田早紀へと導いてくれた運命の人でした。

 私が作った「白い朝」という歌を聴いて「手を加えれば面白い歌になるかもしれない」と言ったのも金子さん。後に「異邦人」と改名されました。しかもシルクロードの歌ではなく、八王子の歌でして……。市ヶ谷から中央線に乗って、当時住んでいた八王子の実家に帰る途中のことでした。ぼんやりと窓から外を眺めていたら、元気に遊ぶ子供達の姿が目に飛び込んで来て、いい光景だなぁ、忘れないようにしようと手帳に記したのが「子供達が空に向かい、両手を広げ……」という走り書きだったのです。

――それがなぜ、シルクロードの歌になったのですか?

 当時、ジュディー・オングさんがエーゲ海の歌を歌って大ヒットしていたのですが、制作のチーフプロデーサーだった酒井正利さんが「次はシルクロードだ!」と(笑)。実のところ、私は半信半疑だったのですが、本当に来たんですよ。シルクロードの時代が。

 NHK特集「シルクロード」の放送が始まると中近東に注目が集まり、旅行会社が一斉にツアーを組んだりして。「異邦人」がリリースされたのは1979年の10月でしたが、翌年の春にアフガニスタンで撮影されたカラーテレビのCMに起用されて広まり、大ヒットへとつながりました。

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筆者

丸山あかね

丸山あかね(まるやま・あかね) ライター

1963年、東京生まれ。玉川学園女子短期大学卒業。離婚を機にフリーライターとなる。男性誌、女性誌を問わず、人物インタビュー、ルポ、映画評、書評、エッセイ、本の構成など幅広い分野で執筆している。著書に『江原啓之への質問状』(徳間書店・共著)、『耳と文章力』(講談社)など

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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